こんばんは。
本日も結城美帆子ピアノ教室のブログにご訪問頂き誠に有難うございます。
ピアノを習い始めれば、誰でも上手くなりたいと思うのは当たり前と思います。
中には“上手くならなくても構わない”などという親御さんや、そういうことを全然気にしないお子さんもいますが、それでも習い始めれば誰でも、程度の差こそあれ、少しでも早く上達したいと望むのが自然な人情ではないでしょうか。
生徒の上達を望まない先生はいないのです。
それでは上手というのはどういうことを意味するのでしょうか。
幾年もの長い間ピアノを習っているということでしょうか。
それとも、曲をたくさん仕上げたということでしょうか。
確かに時間をかければ上手になりますし、また進歩が早いということも上手である一つの目安に相違ありません。
けれども、小さい時から幾年も続けているわりには上達しない、またどんどん曲があがるわりにはそれほど上手であるとも思えない、などという場合が少なくないことを考え合わせると、上手になるためにはこの二つの要素ももちろん必要ですが、しかし何か本質的な要素があるに違いないと考えされられるのです。
結局それは、与えられた曲に対して出来る限りの努力を尽くして完璧に弾こうとする態度、言い換えれば曲の完成度に敏感であること、これに尽きると言っても良いでしょう。
この態度が厳しければ厳しいほど、曲には磨きがかけられて美しくなるのです。
もちろん完璧に弾くなどということが可能である筈はありません。
それは人間の能力の限界を越えることを意味するのですから。
たとえ完璧に弾くことができる筈はなくても、最善の努力を尽くしてそれに近づこうとする態度だけは厳しく持っていなければならないのです。
ですから曲をたくさん仕上げることは必要ですが、どれもこれもいい加減で完成度が低いのでは、単に曲を数多く知っているという程度で止まってしまいます。
もちろん曲を数多く知ることも価値のあることに違いはありません。
しかし上達のためには、曲の数は比較的少なくても、一曲一曲をできるだけ丁寧に仕上げていくようにすることが良い結果を招くのです。
レッスンにおいて少なくても、その曲を指定のテンポで、大きなミスなしに、暗譜で弾き通すことが最低でも必要です。
その上で音楽的な表現や細部のテクニックなどについて自分なりにいろいろ工夫を凝らし、研究し、練習を重ね、納得のいくまでその曲を仕上げておくならば成果は大いに上がります。
むろん曲の仕上げがこれでじゅうぶんということはあり得ないことと言わなければならないでしょう。
たとえどのような磨き上げられた曲でも、それでじゅうぶん、とすることは許されないことであって、またそれ故に次回の演奏に新しい発見と進展が約束されるのです。
曲の完成度は、体力的限界を別にすれば、演奏者の人間的成長と演奏技術の進歩に伴って1年後、5年後、10年後、、、、、と演奏者の生涯を通じて無限に増大していきます。
ただ、一曲だけを一生弾き続けるわけのものでもありませんから、その曲を完成していく過程のどこかに妥協点を見出す必要があります。
そこでレッスンでは曲の暗譜ということを一応の目安に置くわけです。
結城美帆子ピアノ教室では、コンクールを活用して、曲を深く学ぶようにしております。
一生懸命に努力を尽くして練習した曲を聴いてもらうのは嬉しいものです。