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ピアノがお家に来た生徒さん。結城美帆子

レッスンを始めてまだ数ヶ月の生徒さん。

今まではお家にピアノが無かったので、お家での練習が出来ませんでした。

今日のレッスンで「お家で練習しますか?」と聞きましたら「します」とお答えがありましたので、練習の課題を出しました。

ある程度弾けるようになった時にピアノを与えてあげると、自ら練習をするようになるようです。

今日の生徒さんも、ピアノがお家に来て嬉しそうでした。

88歳になられた二葉百合子さんの歌声に感激。結城美帆子

昨夜、テレビ番組で二葉百合子さんの歌声を聴き感激しました。

歌手を引退されて何年になるでしょうか?

お弟子さんをおとりになりレッスンをされていると聞いておりましたが、見事な歌声でした。

栗本尊子先生の87歳の時のリサイタルも感激しましたが、歌ってすごいです。

声を出す発声器官の声帯も筋肉ですから、毎日声を出すことで声帯の筋肉、しいては全身の筋肉が鍛えられているから、見事な歌が歌えるのでしょう。

筋肉は、使わないと衰える一方です。

歌は、全身を使いますから、声だけでなく体全身に良いのです。

疲れて、今日は歌いたくないなと思うときもあるのですが、健康の為に先輩方を見習って、歌の練習をしております。

維持する為だけでも練習が必要なので、ピアノの先生という仕事は、けっこうハードなのです。

健康で長生きしている方の特徴とは。結城美帆子

健康で長生きしている方は、自立している人、いくつになっても現役で稼いでいる人たちのように思います。

元NHKアナウンサーで現在はベストセラー作家の下重暁子さん、黒柳徹子さん、デビ・スカルノさんなどは、80歳を過ぎてもお元気でお若く見えます。

瀬戸内寂聴さんは、もうすぐ100歳になられますので、さすがに車椅子をお使いになられているようですが、一般的な年齢の人たちと比べれば、お若いと思います。

声楽家の栗本尊子先生も84歳・87歳・90歳を過ぎても、楽譜を見ないでリサイタルをされておりましたが、見習わなければと思いました。

日野原重明先生も、生涯お仕事をされて105歳でお亡くなりになりました。

認知症にならずに介護を受けることなく健康で長生きするためには、いくつになっても稼ぐことでは無いでしょうか。

デビ・スカルノさんが、たかの友梨さんとのトーク番組で「一番の幸せは自分で稼げること、自立して生活ができること」とおっしゃってました。

知り合いのある医師が、「田舎の80歳と都会の80歳は違いますからね」と言ったのですが、田舎と都会の違いではないと思います。

住んでいる場所ではなく、その人の生き方なのではないかと思います。

素直に老いを認め、自分にできることで稼いで社会との接点を持って生きている人たちは、健康で長生きをしているように思います。

年齢と共にギアチェンジは必要かと思いますが、リタイアする必要はないと思います。

老人介護施設で暮らすことが幸せとは思えません。

年金暮らしが幸せとは思えません。

生涯現役で、最期は延命治療を受けずに逝けることが、私の最大の願いです。

私が、毎月血液検査を受けたり、胃カメラ大腸カメラの検査を受けたり、全身のCT検査やMRI検査を受けているのは、生徒の皆様や仕事の相手になるべく迷惑をかけないようにする為です。

病気が見つかった時の不安はありますが、仕事をしている人間の責任と思っております。

介護を受けないで逝く為には、とにかく認知症にならないことです。

介護保険を申請するときは、認知機能の検査があります。

介護保険を使っている人は、認知症を発症している人なのです。

認知機能が正常であれば、足腰が弱って介護が必要になっても介護保険は使えないですし、認知機能の衰えが少ない場合要介護度が低くなるのです。

介護保険は、介護にどれだけ手間がかかるかで決められると役所の担当者に言われました。

私の母は、何度も7ヶ月で5回(急性期病院に入院中に3回)も再発を繰り返したので、最後は全介助でしたが、全介助でも要介護5の申請が認められるまでに2ヶ月以上かかり、認められたというハガキが役所から届いたのは、母が亡くなってからでした。

バカみたい。

家で脳梗塞を発症した時は、実は、午前中に医師の診察を受け、母は頭痛を医師に訴えたのですが、医師はボケ老人の言葉としか思わなかったのでしょうね。

クリニックからデイサービスに行き、お昼の12時に嘔吐し、めまいを訴えたのです。

クリニックの医師の言葉を疑わなかったことを反省しております。

医師を信用したことを反省しております。

デイサービスも救急車を呼んでくれませんでした。

医師も看護師も、母の脳梗塞の初期症状を見逃したのです。

2回目の再発の時も、午前中に医師の診察があり、その後デイサービスに行き、帰ってくるなり「手がおかしいの」ともうしましたので、再発と思い救急車を呼んだのです。

脳梗塞は、時間が重要といわれているのに、専門家の医師や看護師でも初期症状を見逃すのが現状なのです。

要介護の人を生み出しているのは誰でしょうか。

介護施設は、介護を必要としている人がお客様です。

介護施設のお客様は、要介護の人です。

すごく矛盾を感じます。

介護施設のお客様を増やしているのは、いったいどなたなのでしょうか?

私は、介護施設のお客様が増えないように、熟年の方へは認知症予防にピアノを教えております。

音楽は。結城美帆子

音楽は、国境も、言語も、民族も超えて、人々の奥深くまで届きます。

それは、音楽が、直接『命』に語りかけるものであり、人類の普遍の言語だからです。

私は、これまで、精神分析や心理学を学び、多くの自閉症者にピアノを教えてきました。

自閉症者は、言語の世界に入ることができないという精神分析家がおりますが、人間の言葉をしゃべるだけが言語の世界ではないと思います。

人間と動物の違いは、言語が有るか無いかだとおっしゃる精神分析家がおります。

私は、自ら精神分析の経験をし、約20年精神分析と心理学を学んできましたが、理論も大事かもしれませんが、やはり心が一番大切と思います。

音楽は、人類共通の言語だと思います。

人間には、心が有り、感情が有るのです。

だから、魂を揺さぶられる音楽が生まれるのです。

音楽は、なんと素晴らしいのでしょう。

音楽は、人間の魂なのです。

何も、無理に言語の世界に導かなくても良いじゃありませんか。

音楽を奏でることで自分を表現しているのですから、それでいいじゃありませんか。

ピアノが普通に弾けるように教えたい。結城美帆子

私は、ピアノが普通に弾けるように教えたいと思っております。

ピアノが普通に弾けることとは、自分自身が弾きたいと思う曲が楽譜を見ながら自力で弾けることです。

そして、ピアノを弾くことを自分自身が楽しめるということです。

ピアノが上手く弾けるようになるには、確かに努力も必要ですが、楽しむことを忘れてはピアノを習っている意味がなくなります。

ピティナピアノコンペティションへの参加も、ただただ地区予選を通過することや、全国大会出場することだけを目標に努力をするのでは、ピアノを習っている意味がないように思います。

ピアノは、競争ではないのです。

楽しむためです。

自分自身が弾きたい曲が弾けるようになるため、ピアノが普通に弾けるようになるために、自分自身を客観的に観るために、井の中の蛙にならないために、バロック・古典・ロマン・近現代と四期を学び、視野を広げるために、ピティナピアノコンペティションへの参加をお勧めしておりますが、けして他者と争うためではなく、通過することが目的ではありません。

比べる相手は、以前の自分です。

昨年8.0だったとしたら、今年は8.1を目指せば良いのです。

自分の点数を覚えていて参加している人が、どれだけいるでしょうか?

コンペティションは、他者と争うために参加をお勧めしているわけではないのです。

自分自身が成長するためです。

通過を目標にするということは、心の中では他者と争っている気持ちがあるということです。

他者を気にせず、ピアノを楽しんで頂きたいと思います。

自分自身が成長すれば、コンペティションの結果はおのずとついてきます。

ピアノの弾き方やテクニックは教えることができるのですが、感覚的なことや感性は教えることができないのです。

音楽的な感性は、環境や本人の持って生まれた素養などが影響します。

生徒さんの演奏を弾くと、どんなご家庭でどんな親御さんにどのような育て方をされて育っているかが想像できます。

大人の生徒さんの場合も、どのような生き方をされてきたのかが想像できます。

演奏は、その人そのものをあらわすのです。

だから音楽って面白いのです。

終戦記念日。結城美帆子

今日は、終戦記念日です。

私が高校でお世話になった音楽科の主任の先生は、シベリアに抑留されていたとのことでした。

音楽は、お国に貢献できたから、藝大は潰されなかったとおっしゃっておりました。

私が学生の頃は、戦争を経験された先生方がけっこうおられたのです。

カスミグループの創設者の神林さんも戦争に行かれてマラリアにかかったことが著書に書かれてありました。

戦争は、人と人の殺し合いです。

戦争に幸せや平和は有りません。

従軍慰安婦は、韓国人だけではなく、日本人だって従軍慰安婦はいたのです。

日本人女性たちだって、アメリカ人の相手をされられていた、国が公募で集めた従軍慰安婦がいたのです。

戦中戦後間もなくは、日本人女性も人には絶対に言えない墓場まで持っていかなければならないことがあったのではないかと思います。

娘として、少しでも心の重荷から解放してあげたいと思いましたので、母に精神分析を試しました。

いつも毅然としていた母に見えていたのですが、怖かったことがたくさんあったようでした。

今日は、一日中、世界の平和を祈りたいと思います。

二度と人と人が殺し合う戦争が起こりませんように。

様々な生徒さんにピアノを教えております。結城美帆子

幼児〜80歳以上の方まで、健常者、自閉症やADHDなど発達障害者、知的障害者、身体障害者、躁鬱病や統合失調症など精神障害者、などなど、様々な生徒たちがレッスンを受けに来ております。

音楽は誰でも楽しむ権利を持っていると思っておりますので、ピアノを習いたい人はどんな人でも一生懸命に教えております。

ただし、音楽療法という概念での指導は、現在は致しておりません。

療法という概念には、療法により結果が出せなければならないですから、結果を出すためには、理学療法や作業療法・言語療法のように、努力が必要になり、辛い時も出てきます。

音楽を仕事にする場合は違いますが、音楽に努力や辛い思いは不要です。

障害がある生徒さんの中には、音楽療法的な指導を求めているように見受けられる方もいるのですが、私はピアノが弾けるようにするだけです。

希望される方には、10歳まではワーキングメモリを伸ばす為の脳のトレーニングも行っておりますが、私のレッスンでは、60分レッスンの方でバイエル終了迄ですが、リズム打ちや旋律聴音・和声聴音・絶対音感のトレーニングなどソルフェージュも行っておりますので、おのずと集中力が身につき地頭が鍛えられますので、知的障害がなければ発達障害が気にならなくなります。

おそらく私のレッスンでは脳をたくさん使うため、発達障害の改善がされているのではないかと思います。

ピアノは、脳(頭)で弾く楽器なのです。

ピアノは、脳を発達させるのに良い楽器なのです。

ピアノは、認知症の予防にも良い楽器なのです。

ピアノは、脳を発達させて、脳を健康に保つにも良い楽器なのです。

ピアノは、人間の心(脳)と身体に作用して、心と頭と体を健康にしてくれて健康を保ってくれる楽器ではないかと思います。

お盆、看取り。結城美帆子

救急車のサイレンを聞くたびに母を思い出します。

母を数回診察していただいた東京の不整脈を専門にしている医師が、「ためらわずに救急車を読んだほうがいいですよ、一人で看取るのは辛いですから」と言われておりましたので、脳梗塞を再発するたびに(7ヶ月で4回)救急車のお世話になりました。

あるデータによると、茨城県は脳梗塞の死亡率がワースト1です。

救急システムの問題なのか、家族がいくら早く脳梗塞を発見し救急車を読んでも、病院で診断を受け治療を受けるまでの時間が長いのです。

国は、医療費削減の為に入院日数を減らして在宅医療を推奨しておりますが、在宅医療とは「もう治療ができないから、家で死ぬのを待ってください」ということです。

医療から見捨てられるのです。

阿川佐和子さんがお父様を後入院させていた病院は、最期まで入院させて頂けますが、家族の金銭的な負担は1ヶ月50万円〜100万円以上と莫大です。

国民皆保険制度が始まって60年、国民皆保険制度が出来る前は、医師が死亡を確認しないで役所に死亡届を出せたのかもしれませんが、明治〜昭和34年までに亡くなった人の死亡理由と時間が「何時頃」と記載されておりますので、医師が看取ることはなかったのでしょうね。

国民皆保険制度が始まる前は、医師に診てもらうことも無く亡くなって行った方が多かったのでしょうね。

現在は、医師の死亡診断書がないと死亡届が出せませんし、死亡届を出さないと火葬許可書が出ないし、埋葬許可書が出ないので埋葬ができないのです。

法律に則って進めていかないと、法律違反をすると、逮捕されますからね。

私は、祖父母から始まり家族6人を看取りましたので、その都度、死亡診断書を手に、順番に行って、埋葬許可書を頂き、埋葬してきました。

看取りは、何回しても辛いです。

看取りになれはないです。

病院で死んでも、家で死んでも、亡くなる時に医師や看護師がいるわけではないので、看取りは家族だけなのです。

死期が近づいた時の苦しそうな呼吸を見ているのは辛いです。

後々まで残ります。

おそらく、医師も看護師も、本当の意味で看取りは行っていないように思います。

なぜなら、死に行く患者にずっとついているわけではないからです。

今の医療のシステムでは、家族のフォロー、家族のケアをしてくれる人がいないので、グリーフワーク(喪の作業)が出来る環境が欲しいですね。

心理学や精神分析を学んできた私でも大切な家族の看取りは辛かったです。

今日は、お盆ですが、私は自身は無宗教なので、お寺さんに行く気になれませんし、お線香をあげる気にもならないのです。

お寺さんは、死んだ人と家族の心を食い物に商売をしているようにしか思えないのです。

お盆は、仏花も高くなりますね。

お花屋さんにしてみれば稼ぎ時なのでしょうけど、嫌だな。

私が死んだ人にできることは、感謝と祈りだけです。

毎日、心の中で感謝をし、祈りを捧げております。

ピアノを楽しみましょう。結城美帆子

演奏を仕事にする人は、仕事は楽しいことだけではなので、ピアノを仕事にする人は楽しいことだけではないですが、趣味の方は楽しむだけでいいと思います。

プレッシャーを感じることではないです。

たとえコンペティションに参加するにしても、プレッシャーを感じてまで頑張ることではないように思います。

ピアノは、楽しく続けられることです。

けして他者と比べる必要はありません。

ピアノを弾くのが楽しいから弾くのです。

子供がピアノを習いたいと思うのは、ピアノを弾いている人が楽しそうに思えるから、自分も楽しみたいからです。

強い心や忍耐力は、ピアノのレッスン以外でも学べます。

私のもっとも敬愛する恩師でありました東敦子先生も「無理はいけません」とおっしゃいました。

他者と比べることなく、無理せず長〜くピアノを続けて頂けることを願います。

愛と祈り。結城美帆子

私は、40年ピアノを教えてきました。

これからも教え続けていくと思います。

ピアノを教えるってどういうことなのか?

今、改めて考えております。

教え始めて10年は、楽器店の講師をしていたこともあり、子供たちに楽器店の店長から言われた教則本を使い、楽器店の店長から言われた通りに生徒さんがピアノのレッスンを辞めないようなレッスンを心掛けておりました。

次の20年くらいは音高音大受験生をメインに志望校に合格させることだけを考えて教えてきました。

次の10年くらいは、趣味の方をメインにピティナピアノコンペティションや全日本ピアノ教育連盟が主催するピアノオーディションに参加する生徒さんのそれぞれの目標が達成できるように必死に教えてきました。

受験生の指導が、一番楽でした。

なぜなら、生徒本人が、明確な目標を持ってレッスンを受けに来ていたからです。

3番目が一番大変でした。

趣味の方は、ピアノのレッスンがどういうものかわからない方がほとんどなので、生徒さんがどのようなことを望んでいるのか?どの程度の知識の持ち主なのか?どのようなお考えの人なのか?などなど、レッスン以外のことを考えながらレッスンを進めていかなければならないので、私の教室は障害者もレッスンをしておりますので、一人一人生徒さんの状態を見極めて、生徒さんの望んでいることを叶えることができるようにレッスンをしなければ、生徒さんはピアノのレッスンを辞めてしまいますから、すごく大変なのです。

指導者の気持ちとしては、明確なレッスンを受ける目的と目標を持ってレッスンを受けていただけると非常に有難いのですが、習い始めはわからないのではないかと思うので、しょうがないかなとも思います。

お子様の場合は、ピティナピアノコンペティションやステップ・ピアノオーディションなどに具体的な目標を持って参加して頂けると、確実に上達できるのですが、能力的に無理なお子様の場合は挫折をしてピアノを途中でやめてしまう場合もあるので、難しいです。

それで、年齢に関係なく参加できるピティナピアノステップの参加をお勧めするようにしておりました。

「コンペティションは他者と争うものではないです」と何度も申し上げておりますが、いざその場になると他者が気になってしまうのが人間の心理でしょう。

「ピアノを上手く弾く」とは、どういうことなのか?がわかっていない子供もおります。

他者の評価でしか自分を知ることができない子供が増えているように思うのです。

当然、良く評価されたいと思うでしょうね。

他者から良く評価をされたいから頑張って練習をしているのではないかと思う子供もおります。

悲しいです。

主体的にピアノを楽しんでいないのです。

悲しいです。

主体的にピアノを楽しんでもらいたい、主体的に音楽を楽しんでもらいたいと心から願い祈ります。

音楽は、愛と祈りなのです。

慈しみの心が、音楽を生み出すのです。

音楽は、癒しでもあります。

音楽教室は、心のオアシスでなければいけないのです。

教室を開いた原点に回帰したいと思います。

私は、残りの人生、本当の音楽を伝えていきたいと思います。