どんなに小さな目標でも、ささやかな夢でも、それを叶えるための真面目さ、一生懸命さ、真剣さがあれば、人は必ず何かを得たり掴んだりして、それが人間形成に役立ち、その人の生き方の支えや中枢にもなり得ます。
ピアノという習い事は、どんなに一生懸命、真面目に努力をし続けたとしても、すぐには結果の出ない習い事です。
それでも真剣に習っている人は、生きていく力に繋がる偉大なものを得ることができます。
専門の道に進むか否かに関係なく、毎週、毎日、身近なゴールをクリアーするためのたゆまぬ努力や、自分の「弱さ」と闘っていく「逃げない生き方」を培うことができるからです。
そのことが目標や夢を叶えるシミュレーションでもあるからです。
だから、だからこそ「ちょっとかじり」ではなく、親は我が子に真剣に習わせて欲しいと思います。
【子育ての目的とは】
子育ての目的は、子どもが自分自身で成長できるようになることと考えています。
子どもが自分で自分を奮い立たせ、成長し続けられること、どんな困難、逆境にあってもそれを乗り越え、周囲の環境すら変えていける自分になること。
そのような人間に育てることが、子育ての一つの目的であり、子ども自身の幸福・ウエルビーイングに繋がると思っています。
子どもが何を幸福と感じるかは子どもにしかわかりません。
つまり、親が子どもに幸福を与えることはできないのです。
しかし、幸福を得るためのスキルを育てることはできます。
そうしたスキルを身につけていく過程を「成長」として捉えることができる筈です。
子どもの幸福とは、子どもにすべてが与えられることでも、すべてが自分の思い通りになることでもありません。
自らがやりたいと思うことを自覚し、それに取り組むことができる環境があり、起こるであろう困難を乗り越えながら、実際に試行錯誤を繰り返す中で人間的に成長することではないでしょうか。
子どもの幸福を考えるのに、ドイツのノーベル賞作家、ヘルマン・ヘッセが「メルヒエン」で書いた童話があります。
夫を亡くした女性が、一人の男の子を産みました。
そこに、あるおじいさんが、子どもにとって一番良いと思うものを一つだけ叶えてあげましょう、と言ってきました。
女性は、「子どもは誰からも愛されるようになって欲しい」と願いました。
そして、男の子は誰からも愛されるようになりました。
ところが、愛されることが当然となり、わがままな、傲慢な人間となってしまったのです。
何もかもが虚しく、何の喜びもない。
お母さんも死んでしまいました。
彼は「誰からも愛される魔力はいりません、誰をも愛する人間になるようにして欲しいのです」と叫びました。
すると魔力は消え、現実のあらゆる試練が降りかかってきました。
しかし、人々を愛し、尽くすことができるようになった彼は、本当の生きがいを感じることができるようになった、という話です。
子供といっても親である自分とは異なる人間主体であり、自分の望むこと、自分が幸福と思うことが、子どもにとっても幸福とは限りません。
それは子ども自身が決めるのです。
そして、「愛される」よりも「愛する」ことによる成長が子どもにとっての幸福、生きがいとなったことからも、自ら成長できるスキルを与えることこそが子どもにとっての幸福に繋がると言えるでしょう。
その過程において親のサポートが必要であり、重要であることは言うまでもありません。
当教室には、アドバイザーとして児童精神科医と臨床心理士と元臨床心理士がおりますので、子育ての相談も可能となっております。