音楽は誰のもの?

音楽は誰のもの?

人生には、予期せぬ出来事や思いがけない不幸、そして不可抗力な出来事や不条理なことも往々にしてあります。

そんな時、生死を分つほどのぎりぎりのところで、人を救ったりするのは一体何なのでしょうか?

もっと幸福なことは、そして理想は、それが家族・親友・恋人など、「人の愛」であることです。

でも、そのような「人の愛」に出会えた人も出会えなかった人も含めて、全ての人間を、究極のところで救ったり支えたりできるのは、やはり私は宗教と芸術しかないような気がします。

毎週土曜日の夕方から日曜日の午前にかけて、臨済宗の道場に通い坐禅や写経を学びに行っていたこともあり、カトリック教会の聖書講座に通い聖書を学びミサにも参加しましたが、私の場合は、芸術(音楽)に救われ心の支えとなっております。

自分が本当に悲しかった時、孤独だった時、辛かった時、自分を励まし生きる力と繋がったのが音楽でした。

どんなに苦しく辛いことがあっても、ピアノを弾いている時は慰められた。

命に関わる病に侵された時も、生きることに希望を持つことができました。

ピアノのレッスンとは、ピアノが上手く弾けるように教えることではなく、ピアノを通して、ピアノが大好きになり、ピアノが心の支えとなり生きる力につながるように導くことではないかと思います。

本物の音楽を求めていれば、必然的にピアノも上手くなるはずです。

音楽の本質とは、音で何かを表現することです。

自分の気持ち心を音で表現することで、心を昇華させることが出来ます。

音楽の本質を考えれば、障がい者や高齢者、児童養護施設で暮らしている子供たち、生活保護を受給している子供たちにこそ、本物の音楽が必要なのです。

音楽でみんなの心が豊かになったら、虐めや無差別殺人なんて無くなると思います。

ピアノは、テクニックを教え、コンクールで金賞を取れる弾き方を教えることが、良い指導なのでしょうか?

人間は死ぬまで勉強し成長し続けます。

成長とは、変化することであり、バージョンアップすることです。

私もバージョンアップします。

音楽の本質に添ったレッスンにバージョンアップします。

結城美帆子ピアノ教室では、入門期から楽典の知識、演奏の技術と同時に「音楽の本質」(=音で何かを表現すること)学ぶ、革新的なピアノメソッド「ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本」 全3巻を使って、子供たちの心と感性を育み、音楽と共に幸多き心豊かな人生を送るための力を養います。

最後までお読みいただき有難うございました。

今日も素敵な一日になりますように!