皆さま、おはようございます。
結城美帆子ピアノのブログへご訪問いただき誠に有難うございます。
今日は、ながーくピアノを教えてきて、「なんか変」と感じていることについて書きます。
批判ではなく、あくまでわたくし個人の考えです。
音楽は芸術です。
芸術とは、知識と技術を持って何かを創り表現するものです。
音楽の本質とは、音で何かを表現し創るものです。
ピアノ教師の仕事とは、ピアノを習いに来る生徒さんが、ピアノという楽器を媒介として、音で自分を表現できるように導いてあげること、自分の音楽を創ることができるように知識や技術を教えることではないかと思います。
音楽療法なるものもありますが、音楽を通して音で何かを表現し自分を表現する一つの手段になれば意味があることと思いますが、老人ホームなどでみんなを集めてみんなで歌を歌わせることが、果たして音楽=芸術と言えるのでしょうか?
芸術の本質、音楽の本質とは音で何かを表現することなのです。
芸術に、音楽に機能訓練の要素はないはずです。
最近は、「ピアノで脳育」とか「知育」とかも言われますが、この言葉にも違和感がありました。
脳を育てることを、ピアノ教師がやることなのでしょうか?
東大生の三分の一がピアノをやっていたとか、開成中学高校ではピアノは必須とか、ピアノをやれば頭が良くなると思う人もいるのかもしれませんけど、東京大学に現役で合格している方は、親御さんやご親戚の方に東京大学を卒業している方がいたりして、勉強の環境が整っていたのではないでしょうか?
親が受験勉強の経験があれば、子どもは必然的に親を見て育ちますから、学び方がわかるのではないかと思います。
ピアノでも、親御さんがピアノの経験がない方と有る方、経験があっても初級レベルで辞めてしまった親御さんがおりますが、きちんと練習ができる生徒さんは、親御さんも上級レベルまで頑張れた方が多いです。
ピティナピアノコンペティションで金賞を受賞したお子さんの親御さんを見ると、親御さんがピアノの先生というお子さんの受賞が多くなってきているように思います。
わたしの知り合いのピアノの先生のお子さんも、皆さん金賞を受賞されています。
ピアノのコンクールも受験も親の影響が全くないと言えば嘘になると思います。
そんな中で、ピアノ教師ができることは、本学の本質に沿った指導を実践し、自分の出したい音が創れるように、そのための知識と技術を教えることかなと思います。
知能は生まれ持ったものだから変えることはできないようです。
その証拠に、知能指数を調べる検査(wiscⅤ)は何度もできるものではないからです。
ロールシャッハテストは、何度かできますが、ほとんど変わらないようです。
機械的な演奏ではなく、表現豊かな演奏ができる人に育って欲しいと思います。
その為には、心を育み感性を育てることが必要です。
何が美しいのかわからなかったら、美しい音がどういう音なのかわからなかったら、美しい音での美しい音楽を奏でることはできませんでしょ。
昨年、音楽教育家の北村智恵先生の著書と楽譜に出会って、そして北村智恵先生ともお話をさせて頂いて、今までの疑問を晴らすことができました。
北村智恵先生に感謝です。
60歳を過ぎて、やっと自分のやりたいピアノの指導を見つけることができたように思いました。
純粋にピアノという音楽・芸術を楽しめる心豊かな人間を育てたいと思いました。
心が豊かな人は感性が豊かな人です。
心が豊かで感性が豊かな人は、誰かを貶めたり、平気で嘘をついたり、虐待などは、良心がとがめてできません。
この花は何て美しいのだろう、なぜ美しいのだろうと追究心「真」→きれいに咲いているのだから折らずにおこうという道徳心「善」→美しいものを残しておきたいという心から彫刻や歌や楽曲が生まれる「美」
「真」→「善」→「美」
芸術は、哲学から生まれたのです。
美しさを追究し表現することが芸術で音楽をするということです。
北村智恵先生の「ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本」は、導入から音で何かを表現するといった音楽の本質に沿って学べる教本です。
新しい教本でのレッスンを行うにあたり、只今、4歳から就学前のピアノのレッスンが全くはじめてのお子さんは、3回無料で体験レッスンが受けられます。
世界で初めての表現から入る革新的な教本です。
無駄なことは教えないように作られた教本で、例えば休符は弾かないしるし息を吸うところみたいな教え方をしますので、他の教本を少しでも経験されたお子様は混乱が生じる可能性がありますが、導入期からポリフォニックな音楽も学べますし、曲数が少なく課題が多いのが特徴のように思います。
教本は1冊です。
曲集やドリルの要素も一冊の中に含まれています。
1巻から3巻終了後は、 ブルグミュラー25番に余裕を持って入れる教本です。