北村智恵先生は、音楽教育家。指導歴50年以上のピアノ指導者、楽譜の監修・校訂、作・編曲などを手掛ける傍ら、新聞・音楽雑誌、全国各地でのピアノ指導者のための講座・公開レッスンの講師も長年勤めていらっしゃいます。
相愛大学では、ピアノ教授法の講師もされています。
障害がある方にもレッスンを行っている先生です。
京都国際コンクールの審査員もされている先生です。
障害がある生徒さんへのピアノ指導で悩みがあり、昨夜、お電話でご相談をさせていただきました。
障害がある方へのレッスンは、正直申し上げて簡単ではありません。
特に、知的障害の生徒さんの指導は、毎回手探り状態で進めていくので、すごく大変で、私の心が折れそうになるときすらあります。
昨今、
コンクールで良い結果を出せる生徒さんが良い生徒さんで、
良い結果を出させることができる指導者が力量がある指導者みたいな風潮があるように感じますが、
ピアノを習う目的ってコンクールで良い結果を出すことなのでしょうか?
コンクールで良い結果を出せる指導が、
本当に生徒さんの幸せになっているのでしょうか?
コンクールで良い点数が取れる画一的な指導を生徒に行うことが、
本当に生徒の生きる力に繋がっているのでしょうか?
枠にはめた指導が、
本当に生徒さんの「感じる心」=「感性」を育てることができているのでしょうか?
音楽とは、音で自分らしさを語るものです。
音楽教育とは、語るべき自分らしさを育てることです。
自分の音で、自分らしい表現を考え、実践していく努力は、自分らしさを守り育て、「ベスト・ワン」ではなく、「オンリー・ワン」を目指す人生の第一歩ともなり得る。
感性と表現力でコミュニケーション能力を育て、「生きていく力に」
私が学んできた精神分析も、自分らしく生きられるようになることが目的です。
昨夜、北村智恵とお話をしていて、ハッと思いました。
私は何をしていたのだろうと。
相談できる相手がいることって、大事です。
「障害者を教えるのをやめようかとも思っていたんです」と、
北村智恵に申し上げましたら、
「何言っているんですか?そしたら誰にもピアノを教えられないじゃないですか」
とお叱りを受けました。
もっとも教えにくい人に、理解をさせ、心から楽しいって思ってもらい、音楽の喜びを感じてもらえることができたら、健常者と呼ばれる人達にも同じようにできる、どんな人にも教えることができる人がプロの指導者と言える。指導料を頂いている限り、プロの指導者でなければならない。
手の力が弱い小さいお子さんは、今までクレヨンを使っていたのですが、「水性サインペンを使うと良いです」と具体的なアドバイスを頂きました。
知的障害の生徒さんへの指導のアドバイスは、「本人が望んでいないものはやってはいけない、レッスンはセッションです」
これは、精神分析の考え方と同じです。
わかっていたことなのに、枠にはめようとしていたことを反省しています。
生徒の心の声を聞くことを忘れてはいけない。
ピアノは音楽は、心を豊かにするため、感性を豊かにするため、自分らしく生きていける力をつけるため、楽しく幸福な人生を送るためにあるのです。
最後までお読みいただき有難うございました。
今日も素敵な一日になりますように!