我慢について

我慢について

「我慢しなさい」と「諦める」は、大人たちが子どもに求める中でも東西の横綱格と言ってよい。

「ここが我慢のしどころだ」というのは、今はつらいけどここを切り抜けるとゴールが見えてくる、という状況で使われる言葉です。

この場合、「我慢する」とは「諦めない」ということです。

一方、自動販売機の前でジュースを買ってほしいと騒ぐ子どもに対して親が「我慢しなさい」という場合はどうでしょうか?

このときの「我慢する」は、「ジュースを諦める」という意味です。

このように、我慢には、諦めず我慢する場合と、諦めて我慢する場合とがあります。

「我慢する」とは、嫌なことやつらいことと、嬉しいことや楽しいことがあるときに、後者をとらずにあえて前者をを選ぶことです。

一方、「諦める」とは、希望、要求、目標を断念することです。

将来何かを得るための一時的な我慢は諦めないことの表れですが、将来展望のない我慢は即ち諦めた印です。

我慢することと諦めないことの両者がうまく絡み合うとよいのですが、実際にはそう簡単に行くことではありません。

子どもでは、将来的な見通しを持って目標を立てることや、その目標を達成したいという気持ちを維持することが難しいです。

だから、大人からいつも「我慢しろ」と言われて自分の希望が満たされない状態が続くと、将来の展望を失って「自分が何を望んでもどうせかなわない」と諦めてしまいます。

我慢は比較的簡単にできますが、諦めない気持ちを維持して大人になるのは難しいです。

わが国には、「みんなも我慢しているから」という理由で我慢する習慣がありますが、理不尽だと思いませんか?

「みんなも我慢しているから」などの理不尽な理由で我慢を強いる場合、我慢を教えること自体が目的となっているように思います。

それは結局、諦めの早い人格形成につながってしまいます。

我慢は人が教えるものではなく、自分で学ぶものです。

教えるべきは、目標を立てて、その達成のために自分で色々と工夫するという姿勢。途中で困難な場面に遭遇したとき、本当に必要不可欠だと本人が判断したら、そこで初めて健全な我慢を学ぶことができます。

結城美帆子ピアノ教室では、自分自身で具体的かつ明確な目標を立ててもらい、レッスンを行っております。

夢を持ち夢に向かって夢を叶える努力ができる人間に育って欲しいと思います。

「みんなも我慢しているから」と言って我慢をさせたり、「みんながゲームをしているから」と言ってゲームをさせている親御さんもいらっしゃるのではないかと思いますが、私の知り合いのお医者様の中学生のお嬢さんは、お家にテレビが無いので地デジもBSも知りませんが、いじめに遭うこともないですし、ご両親ともにお医者様だからかもしれませんが、医学部を目指してピアノも勉強も頑張っています。

子どもは環境で育つと言われますが、みんなが勉強をしている環境に身を置くと勉強をするようになると思いますし、みんながゲームばかりしていて勉強をしている人が少ない環境に身を置くとゲームばかりして勉強をあまりしなくても平気でいられる人に育つかもしれませんね。

私立の中学に入れたい親御さんの気持ちには、子どもの勉強の環境を整えてあげたいからということもあると思います。

当教室の生徒さんの中にも、越境して吾妻中学に通っている子もいます。

O中学は学年で2番以内にいないと竹園高校に合格できないけど、吾妻中学だったら30番以内にいれば合格できると言われたら、どちらを選んでも構わないと言われたら、どちらの中学に通わせたいですか?

最後までお読み頂き有難う御座いました。