子供の心

子供の心

今月から、ピアノの足台をペダル付きの足台に変えてみました。

想像していた通り、全員の生徒さんが、ペダルに両足を乗せペダルを踏みピアノを両手で弾き始めました。

ピアニストになったような気持ちだったのではないでしょうか?

これが、人間の自然な反応です。

指導者は、生徒さんの10年先20年先を見越して指導を行いますから、順を追ってレッスンを行っていくので、ペダルはある程度弾けるようになってから教えておりましたが、生徒さんの想いは違うようです。

ペダルを踏んだ時、子供たちは「きれい」と言います。

感性が育まれていると言うことです。

心が動いていると言うことです。

美しいものを美しいと感じられることは、とても大切なことなのです。

たとえば、

「ここに美しく咲いたきれいなバラの花が一本ある」と考えてください。

感性のある人なら、

「ああ!なんときれいなバラの花なのだろう!なんと素晴らしいことだ、自然て不思議なものだなー!」

と感じます。

そして、このように感動した心の動きは次の段階へ進みます。

たとえば、

「どうしてこの花はこんなに美しいんだろう!?」と思う心が、その花に触ったり香りを嗅いだりする行動に移った時に「花の美」について研究しようとする科学や化学への変化します。

即ち、「者の本質について研究する態度」は、感動が変化した好奇心によって発達します。

これを哲学的に言えば「真」を求める心になります。

「なんてきれいな花なんだろう!この花は公園に咲いている花だから、たくさんの人が見ることができるように、持ち帰らないようにしましょう!」とか、「この花は一生懸命に咲いている、折って殺してしまうと可哀想だから、このままそっとしておいてやろう!」と思う心が公徳心を育てます。

即ち、感性を育てることが、「道徳」や「善」の心に変化するのです。

さらに、

美しいものに出会って感動した心がもっと昇華して、「この美しさを何等かの形で残してみたい」と言う心に変化します。

こうして出来るのが芸術です。

感動しなかったら、「荒城の月」も「月光」も生まれなかったと思います。

感性は、芸術表現の原動力となるのです。

感性は、人間生活をより良くする為の芸術即ち「美」の原動力となるのです。

「真・善・美」の満ち溢れた社会は、人間が人間としてより良く生きていける素敵な社会です。

「真・善・美」を育んでくれる最も適した学習体験は、誰かと一緒に美しさに感動する経験なのです。

ピアノの学習は、「真・善・美」を育むのに、最も適していると思います。

ピアノの学習は、心を育み感性を育むのに最適だと思います。

重要なのは、誰かと一緒に感動する経験です。

ピアノを学ぶと言うことは、自分の生き方・道を見出して行くことではないかと思います。

「真」が高じれば、医学や化学・科学の道に進まれるかもしれません。

「善」が高じれば、哲学の道に進まれるかもしれません。

「美」が高じれば、作曲家や演奏家の道に進まれるかもしれません。

最近では、野球の大谷選手のような二刀流のピアニストも出てきました。

医学部の学生さんでピアニストとして活躍している人もいます。(名古屋大学医学部の沢田さん)

つくば市にお住まいの方でも、「将来の夢はピアニストと医者の二刀流」と仰る渋幕に通う中学生がおります。

随時体験レッスンを承っております。

入会は自由ですので、お気軽にお申し込みください。