政治家の中にも、内閣総大臣だった人でも、裁判で有罪判決が出ても、自分の非を認めない人もいます。
私は若い頃から、人間に興味があったので、よく裁判の傍聴も行っていました。
知り合いの弁護士さんから、「裁判の判決が真実ということはない、人間が行うことだから、人間とは間違いを犯す動物だから」と言われたことがあります。
裁判で、責任能力があったかなかったかを問われることがありますが、医師は意見書を提出するだけであって、責任能力があったかなかったかを判断するのは裁判官で、しかも裁判官の判断は単なる判決であって真実とは限らないのです。
と、知り合いの弁護士さんから言われました。
世の中には、病で善悪がわからない人もおりますが、そういう人は、たとえ殺人を冒しても無罪になり、精神病院で医療的ケアを受けることになります。
生徒さんの中にも自分の非を認められない子がいるので、少々気になっています。
知的障害の子は、そもそも何が良くて何が悪いことなのか自分で判断することができないので、特別支援学校では5人の生徒を2人の先生が担当するのです。
問題だなーと思うのは、一般のお子さんです。
昨日レッスンにお越しになられた小学6年生の生徒さん。
すっごく速いテンポで弾き出して、左手が動かないので右手と合わなかったので、
「お家でどんな練習をしてきたのかな?お家でやった練習をしてみて」
と指示をして、10分程度自主練習をしてもらい、その間黙って聞いていました。
「最初から最後まで通して弾くのは1日一回だけにして、あとは考えて部分練習をしてね」
と申し上げていたのですが、
この生徒さんの部分練習とは、曲の区切りのところで一旦止まるというものでした。
ガーン😨😩
意味がわかっていなかった。
発達障害の人にはよくあることなのですが。
「片手の練習はしなかったの?」
と聞いたのですが、ずっと黙ったまま。
「レッスンの時間が終わっちゃいますよ」と言いましたら、
小さな声で早口で「やってません」と申しました。
なので、今回は、片手の練習のみを課題にしました。
発達障害の子は、生きる手段として鎧をつけているようなので、鎧を脱いでも大丈夫ということを分からせてあげたいですね。
自分のミスを認められないのは、防御する為でもあるので仕方がないと言えば仕方がないですが、安心して暮らせない社会になってしまうと思います。
人間は、信頼関係で成り立っていると思うのです。
間違ったら直せばいいことです。
人間はミスも犯します。
私は完璧な人間じゃありませんし、生徒さんにも完璧なんて求めていません。
練習ができない時があってもいいのです。
休みたい時だってありますよ、人間だもの。
世の中は自己責任と言われたりしますが、それって追い詰める言葉ですよ。
努力できない人は、ダメな人みたいな風潮もあるように思いますが、世の中には努力したくてもできない人もいます。
私は、今はですけど、「頑張らない、だけど怠けない」と思って生活しています。
子育てや介護は頑張らなければできませんでしたけどね。
みんなが幸せな人生を送ることができますように!
その為には、心を育てること、感じる心=感性を育てることです。
感性が豊かな人は、相手の心を想像することができますから、相手が嫌がることはしない人に育ちます。
結城美帆子ピアノ教室では、感性を育てるレッスンを行っております。