「お店屋さんごっこ」「お母さんごっこ」「先生ごっこ」など、いわゆる「ごっこ遊び」ができるのは、幼児の特徴です。
その役になりきることも、その場を架空の風景や情景に見立てることも、その中で物語を想像し、創造し、それ自体を楽しむことができるのも、すべて、大人になるほど失われていく、幼児ならではの「能力」の一つと言えます。
「音楽」は、「音」で、風景、情景、誰かの気持ちや様子、心の中の思い、などを表現する芸術であり、その本質から考えると、実は、幼い子どもほど「音楽」に向いていると言えるのです。
それなのに、楽典を教え込むことや、指を動かす練習ばかりに終始する、といった状況に出会したとしたら、幼い子どもたちにとって「ピアノを習う」ことは、レッスンにおいても、家での日々の練習においても、面白くも楽しくもないことでしかなく、長続きしないのは当然と言えるでしょう。
レッスンは常にライブであり、指導者と生徒のセッションであると考えることが大切です。
レッスンが、その子の人生における「心の糧」になるか、嫌な思い出、劣等感として残してしまうかは、指導者の指導の仕方にかかっているのです。
指導者は、心から音楽を愛していて、音楽の素晴らしさや偉大さを知っているからこそ、この仕事を選んでいるはずです。
ピアノを弾くということは、ピアノを媒体として音楽そのものの美しさや楽しさに出会っていくことであり、ピアノを習うということは、ピアノを弾くことによって人としての感性を養い、その後の人生を心豊かに生きていく力をつけることにほかなりません。
「ピアノの弾き方」を教えることがレッスンの本来のあり方なのではなく、小さな美しいもの、小さな暖かいものを、それぞれの子どもの歩幅で、てくてくと、ともに拾い集めていく人生の同伴者が「ピアノの先生」であることを忘れないようにしたいと思います。
その為にも、もっと大切なことは、指導者は、相手が何歳の子どもであっても、決して、表現内容のない演奏を認めたり、妥協したり、迎合してはならないということです。
正しく、間違えないで弾けたらマルをして「上手に弾けた」と評価することは、子どもをみくびっていることであり、音楽に対する冒とくでもあります。
どんなに易しい小曲でも、曲が求めている「音」や「表現」で、その内容が他者に伝わるかどうかを評価する姿勢を失わないことです。
そういうレッスンをすることで、子どもにも「音楽とは音で何かを表現すること」という大切なことが伝わります。そして、そのようなレッスンを受けた子どもは、楽譜から読み取った音楽を自分の指で紡ぎ、自分の思い通りの音で「表現」する為に必要なことすべてが本当の技術(テクニック)であると思うようになるでしょう。
趣味、専門にかかわらず、その音楽にふさわしい音質・音色で演奏できる人間になるかどうかは、習い始めた時に、先生から常に音楽のあり方(理想の音楽)を求められてきたかどうか、先生が生徒を一人の人間として尊重し続けてくれたかどうかで決まります。
相手に合わせた指導法や考え方を考える為には、生徒の能力や個性などを見抜き、家庭環境も含め、生徒を知る努力も必要です。