ピアノの過干渉と過保護について

ピアノの過干渉と過保護について

「うちは子どもの自主性を尊重しています」という親御さんがおりますが、

「子どもが何かを希望したらそれを尊重する」というやり方でしか子どもと接していないとしたら、

子どもは不安になるかもしれません。

子どもの立場から見ると、

自分が主張しない限り親は振り向いてくれない。

「パパもママも自分のことなんて本当はどうでもいいのかな?」と感じる子どももいるようです。

児童精神科医のお話によると、これは、一種のネグレクトだそうです。

子どもが親の愛情を十分に感じ取れるのは、子どもがまだ頼んでもいないのに、子どもが内心希望していることを親がくみ取って提案してくれる時だそうです。

「今度の日曜日、プールに行こうか」「一緒にトランプしない?」など、タイミングよく親から子どもに誘うことが、とても大切だそうです。

乳幼児期から思春期にかけて親の愛情を十分に感じて育った子どもは、安心感を土台として自主性のある健康な大人へと成長していくそうです。

逆に、この時期に保護者からの愛情を十分に感じられないと、情緒不安定で依存的なパーソナリティーのままで成人期に達してしまうそうです。

『個性の芽をつむ過干渉、個性を育てる過保護』

“一般に「過保護に育てると子どもがいつまでも親に依存して自立できないからよくない」と思われがちだが、佐々木正美先生はそれが誤解であることをいつも強調されていた。子どもは自分の望んでいる色々なことを思い通りにしてもらうと、やがて満ち足りて、どんどん自立していくものだ。満たされれば満たされるほど、むしろ自立は早くなる。だから、子どもが望んでいることを親はいくらでもやってよいし、やり過ぎることはない。本来、「過保護」という概念すら必要ない。もし、いつまでも子どもが親を頼ってくるとすると、それは過保護だからではなく、むしろやりたいことを十分に満たしてこなかったから、と考えるべきだ。逆に、子どもの自立をはばむのが「過干渉」である。干渉とは、やりたいことでもなくやらねばならないことをさせようとすることだ。「やらねばならないこと」の多くは、実は親がやらせたいと思っていることに過ぎない。しつけなど、ある程度は必要だが、過剰になると、子どもは親の意向をいつも気にしなければならない。過干渉な親は、子どもが親の意向にそったときだけ褒め、ものを買い与える。このような育て方だと、他者の評価に過敏になり、自分でものを考える習慣が身につかない。自分のやりたいことがわからなくなってしまう子どももいる。子どもの自主性や主体性は、やりたいことの中でしか育たないので、過干渉では子どもの自立がむしろ遅くなる。思春期にさまざまな問題を示す人たちの中に、小さいときは「聞き分けのよい子」と言われていたというケースがしばしばあるのは、親の過干渉が原因であることが多い。佐々木先生はよく「過保護にされてダメになる子どもはいない」と仰っていた。”

お子さんに過干渉になっていませんか?

私はラカンの精神分析を学んでおりますが、同じようなことが言われます。

甘えたいだけ甘えさせてあげたほうが良いのです。

心が満たされれば、自然と離れていきます。

乳歯が自然に抜けて大人の歯が生えてくるように。

ピアノで言えば、「練習したの?」とか、レッスンに行く時に「忘れ物なあい?」とかの声かけは過干渉です。

練習がしやすい環境を整えてあげたり、ADHDでしょっちゅう忘れ物をしてしまうお子さんには、玄関のドアに「楽譜・爪・鉛筆・ノート・メガネ、、、、」とか自分でチェックができるよう張り紙に書いて貼ってあげるなどは、過保護で良いことです。

お子さんと会話を多くしましょう。