サルコリ先生と長島(丸山)徳子先生の教え

サルコリ先生と長島(丸山)徳子先生の教え

全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)に入会して、生徒さんがコンクールに参加するようになって10年になり、それなりの結果も出してきましたが、私が求めている音楽教育とは違うような気がして、悩みに満ちておりましたが、一筋の光が見えてきました。

悩んだ時は、原点に回帰。

中学3年生までお世話になった長島徳子先生のことを考えました。

長島徳子先生のことがネット上で論文として発表されていたのを読ませて頂き、霧が晴れたような気持ちになりました。

「長島徳子」で検索すると、茨城大学教育学部の論文が出てきますので、お読み頂けましたら幸いです。

長島徳子先生の先生は、アドルフォ・サルコリ先生です。

サルコリ先生もネットで検索すると出てきますので、ぜひ検索してみてください。

サルコリ先生についての論文もネット上で読むことができます。

すごい先生ということは存じでおりましたが、論文を読んだらすごいなんてものじゃありませんでした。

丸山徳子先生には、お二人のお嬢様とご子息様がお一人いらしたのですが、丸山徳子先生とは血のつながりがなかったことに驚きました。

レッスンに通っている時、ご長女の洋子先生とは毎回お目にかかっておりましたし、2番目のお嬢様と調律師をされているご子息様にも時々お目にかかっておりましたが、まさかまさかでした。

徳子先生は、サルコリ先生の養女になられていますから、音楽の才能は遺伝が絶対ということではないということです。

徳子先生の二人のお嬢様はお二人ともピアノ先生です。

サルコリ先生、徳子先生、洋子先生、血の繋がりはないのです。

音楽家は、愛情に満ちた指導者によって育てられるということです。

音楽家だけではなく、人間は血の繋がりは関係なく、人間の深い愛情によって優秀な人間に育つということではないでしょうか。

血の繋がりは関係ないのです。

では、親の愛とは何なのか?

サルコリ先生の徳子先生への想いが、真の親の愛であり、徳子先生はサルコリ先生の愛にきちんとお応えになっていらっしゃいます。

親の愛とは、子供が自立して自分の力で生きて行けるように導き育てること。

親とは血の繋がりは関係なく養育者。

音楽大学でお世話になったピアノの先生は、「生徒のやる気を引き出すなんてできないわよ」なんておっしゃっていたのですが、サルコリ先生は、愛情に満ちた指導で生徒のやる気を引き出すかが指導者の腕の見せ所であると書いてありました。

私も同感です。

音楽教育は「心の育て」とも書いてありました。

生徒にとって良い先生とは、愛情に満ちた指導で、生徒のやる気を引き出し伸ばすことができるかどうかではないかと思います。

生徒を心から愛すること。

愛を持って指導すること。

指導者は、厳しいながらも、教えるべきことを正しく把握し、必要、十分な形で教えることが重要である。

指導者は愛情に満ちており、指導者と生徒の関係の下、生徒は安心して個性を生かし、創意工夫を繰り返し、学習を深めるということが、肝要になっている。

生徒が一時的に感情的になったとしても、生徒の希望を十分に理解した上で、模範的な演奏を示しながら、わかるように、丁寧に指導をするといった姿勢、そして最後にはよく褒めるといった姿勢も大切である。

丸山徳子先生のレッスンを思い返してみれば、叱られた記憶は無く、上手くできないところがあると「あなたにはてんぶがおありになるのよ」とよく言われました。

発表会のプログラムは「丸山門下生ピアノと声楽の発表会」と書いてあり、私はピアノと声楽の両方をお習いしていたのですが、声楽は高校生以上にならないと演奏させて頂けず、ピアノでの出演でした。

お歌の門下生は、みなさん指導をされている方がほとんどで、素敵なドレスで素敵なお歌を聴かせてくださいました。

いずれは私もドレスを着て歌いたいと思っていました。中学3年生の時の発表会では、アカデミア幼稚園の創設者故安田先生が「出船」をお歌いになられ感動したのを覚えています。

「蝶々夫人」のアリアを歌われた方、「宝石の歌」を歌われた方もおりました。

懐かしい思い出です。

サルコリ先生、丸山徳子先生、お二人の教えを胸に、愛情を込めて音楽の素晴らしさを教え心を育てるピアノ教育を行いたいと思います。

教育とは、能力を引き出し、大輪の花を咲かすことができるように導き育てること。

教え込むことが良い教育ということではない。

大輪の花を咲かすということは自立して生きていけるように導き育てるということ、すなわち、ピアノを習うということは、ピアノを通して音楽を心から愛し音楽と共に心豊かな人生を送るための生き方を学ぶということではないかと思います。

サルコリ先生、丸山徳子先生、三浦環先生、そして高校3年生の時から長きにわたり教えを受けていた東敦子先生、この先生方は、演奏家を育てるだけが音楽の教育ではないということをおっしゃっていると思います。

サルコリ先生がお亡くなりになられ悲しみに打ちひしがれている徳子先生に、徳子先生のご性格をよく存じていた三浦環先生が結婚を勧められお仲人をされた意味がよくわかります。

丸山徳子先生がご結婚をされた昭和12年と言えば、第二次世界大戦へ向かっている最中です。

生きて行く上で人生の選択が大事になる時があります。

東敦子先生に、音楽高校を卒業した時「日本の音楽大学ではなく留学したい」とご相談申し上げたことがあるのですが、東先生のお答えはNOで、「イタリアに留学したものの日本に帰れなくなっている人もたくさんいるのよ、どんなに実力があっても日本の大学を卒業していないと、日本に帰国した時やっていけないのよ。」と言われました。

三浦環先生や東敦子先生は、世界で活躍させてオペラ歌手ですから説得力があります。