渡部由記子先生のレッスンに同行して

生徒さんが渡部由記子先生のレッスンを受けに行かれる時は、原則同行致します。

時間を調整しなければならないので、大変といえば大変なのですが、生徒さんの指導で役立つことも多いので、時間をやりくりして同行するようにしております。

渡部先生の指導は、具体的で非常にわかりやすいです。

渡部由記子先生の具体的で丁寧な指導法を実践する為には、1回のレッスン時間が30分では無理なので、当教室では幼児から60分レッスンにしております。

30分レッスンでは、聴いて次の課題を出すのが精一杯で、指の形や具体的な弾き方の指導までできません。

丁寧に教えようと思ったら、ハノンだけでも1時間では足りません。

先日のレッスンでは、同じ音をスラーで弾く時の弾き方を具体的に教えて頂きました。

私自身は出来ているのですが、生徒にどのように教えたらわかってもらえるのかずっと悩んでいたのですが、渡部先生の指導は目からウロコでした。

自分ではわかっていても、自分では出来ていても、生徒がわかるように、生徒ができるように教えるのは難しいのです。

生徒が正しく弾けなければ、正しく指導ができているとは言えないですからね。

コンクールで生徒さんが良い結果を出していれば、指導者は良い指導をしているということです。

指導者は、自分で上手く弾けているだけではダメなのです。

生徒さんが、上手く弾けるように導くことができなければダメなのです。

生徒さんが、コンクールで良い成績をおさめることができなければ、良い指導をしているとは言えないのです。

コンクールで良い成績をおさめるということは、多数の専門家が良い弾き方と認めた弾き方をしたということで、自己満足ではないということです。

生徒さんの演奏力向上の為にも、指導者の指導力向上の為にも、コンクールへの利益があると考えます。

渡部由記子先生が、なぜ、ピティナピアノコンペティション全国大会出場者数No. 1なのか、実際に渡部先生のレッスンを拝見させて頂くとよくわかります。

具体的な目標を持たずにただピアノが弾けるようになれればいいとレッスンにお越しになられている生徒さんより、具体的な目標を持ってレッスンを受けてくださっている生徒さんへの指導のほうが楽しいですし、やりがいを感じますし、生きがいを感じます。

コンクールで金賞をとることだけが目標ではないので、それぞれが具体的な目標を持ってレッスンを受けて欲しいと思います。

死について考え方が変わりました。

私は、尊厳死を望んでいたのですが、多分どんなに考えても理想の死に方は無いように思えてきたので、考えないようにしました。

死に方を考える時間があるのなら、生きることを考えたほうが建設的では無いかと思うようになりました。

尊厳死も、安楽死も、同じように思えるようになってきたのです。

人生会議とか、リビングウィルとか言われますが、誰のためなのでしょうか?

いざという時、素人の患者は、どうすることがベストなのかなんてわからないですよ。

人工呼吸器にしても、エクモにしても、付けて助かる可能性があるか無いか、助かる確率は何パーセントかは、医師は経験値から高い予想ができると思います。

素人の患者に判断を委ねるのは、医師の無責任なのでは無いかと思うのです。

私はピアノ指導者のプロとして、生徒さんが、どうすればどうなるかシュミレーションができます。

コンペティションに参加される生徒さんに対しても、目標を達成させる為には、こうしてこうならないと達成できないとか、具体的に、いついつまでにこうしてこうなっていれば、こうなって達成できる、みたいなことが経験値からイメージできます。

命の判断は、死亡診断を書く権利を持っている医師が判断すべきでは無いかと、この頃思うようになりました。

母を介護している時、いつも究極の判断を瞬時に求められましたので、私の場合は、こういう時にはこうしてということを、私なりにシュミレーションしていたので、判断できましたが、想定外のこともあったので、全てが思った通りに行ったわけではありませんでした。

母は、不規則抗体を持っていたので、輸血の時の判断が困難でした。

命の判断なんて出来ないですよ。

自分がどう死にたいかなんて言えないですよ。

みんな本音は「死にたくない」と言いたいのではないでしょうか?

人間、いずれ死ぬわけですから、自分から死ぬ時のことなんて考えなくても死にますよ。

人生会議とかリビングウィルなんてことは、国が言い出したことなのではないでしょうか?

終末期の医療費を抑制する為に、国が言い出したことなのではないでしょうか?

一生懸命に働いて税金を納めているのだから、人生の最期くらいケチらないで欲しいと思うようになりました。

「役に立たないのは早く死ね」みたいな風潮は、嫌ですね。

安楽死や尊厳死って、優生思想のように思えてきたのです。

優生保護法下で行われていた避妊や去勢手術、堕胎は、優生思想です。

優生保護法に携わった医師は、安楽死協会の初代会長です。

安楽死協会が、尊厳死協会という名前に変わったのです。

尊厳死協会の名簿を見ると、著名な人が名前を連ねています。

優生思想は、障害者排除なのですよね。

せっかく生まれてきたのだから、生きたいように生きようと思う。

障害者だって、自由に生きる権利がある。

老人だって生きる権利がある。

いずれ死ぬのだから、何も死ぬ時のことなんて考える必要はない。

精一杯生きれば良いではないか。

義務を果たし、生きたいように死ぬまで生きようじゃありませんか。

昨日、

6時にお越しになられた生徒さんが、

「先生、虹が出てるよ」と、

教えてくれましたので、

外を見たら、

私も虹を見ることができました。

感動です。

なんで感動するのか?

「虹の橋」という本があります。

小学校一年生の国語の教科書に、

「にじ」という詩がありました。

子供の私は、

虹を渡りたいと思い、

虹近づこうと虹に向かって行くのですが、

近く前に消えてしまいました。

子供の心なのでしょうね。

学校の帰り道に、

虹が出ていると、

お友達と虹に向かって走ったことがありました。