医療崩壊にはならないと想像しますが、医療や介護は変わるのではないでしょうか?
いつでも、誰でも、平等に受けられると思っていた医療は、医療の定義が根本から変わるような気がします。
教育も、変わるような気がします。
AIは、生産性や効率、費用対効果、人間の寿命、などなどをはじき出すことができるのであろう。
AIに使われる人生か?AIを利用する人生か?
デジタル化を進めるだけで、人間の社会は幸せに生きることができるのであろうか?
人間が心を失ったら、人間では無くなってしまう。
ラカン派の精神分析家の論文や著書を読むと、人間は、言語を得たが為に死の恐怖を背負うことになったとあります。
犬や猫は、言語を持たないから、死を受け入れられて死ぬことができると何かの著書で読みました。
私は、犬をたくさん飼っていたので、経験からですが、犬は死期が近くなると、輪から離れて行くように思えました。
犬は、死期が迫っても、わめいたり、ジタバタしたり、命乞いのようなことはしないように思いました。
私は、仕事上でたくさんの人を見送ってきました。
身内もたくさん看取ってきました。
私が看取った人たちは皆んな、「まだ死なない」とか「まだ死にたくない」とか言って、死んでいきました。
介護を受けるようになると、人工呼吸器も、本当はつけて欲しくても「つけて欲しい」言えない雰囲気があるのです。
私のように、人工呼吸器もエクモも不要と言って生きている人間は、少数なのかもしれません。
たった3年弱でしたけど、看取った患者さんのお名前は今でも忘れることができません。
だから、コロナの最前線で治療に当たっている医師や看護師など医療従事者は、精神的にすっごくしんどいのではないかと想像します。
産まれてきたものは、必ずいつか死ぬのです。
だから、悔いの無いように日々を生きて欲しいと思います。
医療や介護の最前線にいた時は、自分の精神を解離させないと耐えられない状況でもありました。
これからの社会を生きて行くのに重要なのは、地頭力とコミニケーション能力と申しますが人間性ではないかと思うのです。
自分さえ良ければという人は、生き残れないのではないかと思うのです。
助け合いの精神がなければ、コロナも今後くるであろう大震災も乗り越えることはできないのではないかと思うのです。
私は、ピアノを教えることしかできませんが、ピアノの指導を通して、地頭力と豊かな人間性を育てて、これからの激動期をたくましく生き残ることができる人間を育てたいと思います。
ピアノを弾く時は、あらゆる脳分野を使いますので、指導方法により、脳を活性化させ、地頭力と豊かな人間性を育てることができます。
これが、私が最後にやるべきミッションと心得て全力で使命を全うする所存です。
こんな考えの私ですが、来年もよろしくお願い申し上げます。
来年が、皆様にとって学び多き年でありますように。