小学三年生自閉スペクトラム症の生徒のピアノレッスン。結城美帆子

今日は、正しいテンポで10回続けて弾くことができました。

知的障害を伴う自閉スペクトラム症の小学3年生の子供が15分継続してピアノを弾くことは、大変な作業ですごい集中力なのです。

テンポで正しく弾くことができましたので、お歌を歌いながら弾く練習をしました。

歌を歌いながら弾くと言うことは、頭で同時に二つ以上の作業をしなければならないので、これまたすごく脳を使うので大変な脳の作業なのです。

脳は、鍛えるば育つ可能性があります。

お母様のお子様に対しての努力の賜物です。

深い愛情がなければできることではありませんので、お母様のお子様への深い愛情を感じます。

知的障害を伴う自閉スペクトラム症の方でも、障害者同士ご結婚をされ、お子様も授かり幸せな家庭生活を送っているご夫婦もおります。

希望を持って子育てを続けてくださることを願っております。

私は微力ですが、できる限り応援をさせて頂ければ嬉しく思います。

私がコンクールへの参加をお勧めする理由。結城美帆子

まずは、ある程度のレベルを維持して欲しいことです。

「ピアノは習ったけど弾けるようにならなかった」と言うようにならないように教えたいと思っております。

その為には、ある程度のレベル(文科省が後援しているピティナピアノコンペティションの課題曲が順次弾けるレベル)を維持することで、「自分はピアノが得意」と思って頂ける事と考えております。

ある程度ピアノが上手く弾けないと、「自分はピアノが得意」とは思えないと思います。

ピアノで自信を持たせ自己肯定感を育てるには、努力した結果による成功体験を味合わせてあげることではないかと考えております。

ピアノを習っている全ての子供たちがピティナピアノコンペティションに参加できるレベルにあるわけではありません。

私は、全ての生徒に全国大会に出場して金賞を目指して欲しいとは思いません。

生徒一人一人が、それぞれに自分にとって価値がある目標を立てて、目標が達成できるように練習計画を立てて、目標に向かって継続した努力ができる人間に育って欲しいと思います。

私は、生徒一人一人が、それぞれの目標を達成できるように導くことしかできないのです。

小さいお子さんの場合は、自分で目標を持つことはできないので、最低でも課題曲が弾けるように導いております。

小学3年生くらいになると、自分で目標を持てるようになってくるようです。

ピアノは技術だけでなく、心や感性も同時に育てていかないとピアノで自信を持ち自己肯定感を育てることはできませんし、ピアノが得意と言える子には育ちません。

能力も環境も違う中で、みんな同じ課題曲から選んで演奏するわけですから、コンクールで他者と比べるのはナンセンスです。

コンクールは、自分の成長の為に参加するのです。

コンクールに参加した親御さんからコンクールの感想を聞くと、親御さんは気づいていないかもしれませんが、明らかに他のお子さんと自分の子供を比べているのが親御さんの話の中から読み取れます。

他の子供と比べないのであれば、他の子供がどのような演奏をしたかとか、他の参加した子供の様子とか、あの子はミスをしたのに通過したとか、関係無いはずです。

今年のブルグミュラーコンクール予選の結果のお話をお母様から伺いましたが、他の参加者の事をおっしゃらなかったお母様がお二人いらっしゃいまして、私の指導の意図とをご理解頂けて嬉しく思いました。

小さい子供は、競争心は無いです。

競争心があるのは、親御さんのように思います。

親御さんにあらためて申し上げます。

コンクールは、他者と争うことではなく、自分を成長させる為です。

毎年ピティナピアノコンペティションを受けている子供であれば、比べるのは去年の自分です。

お気持ちはわからなくはないですが、どうぞご自分のお子様だけを見てあげてください。

他の子供と比べるのではなく、自分のお子さんの努力を認め褒め称えてあげてください。

よろしくお願い申し上げます。

親は子供の鏡と申しますが、精神分析的に申し上げれば、子供は親の鏡でもあるのです。

もし、お子様が「ピアノを弾きたくない」と言いましたら、お子様をご自分の心の鏡とし、ご自分の心を分析してみてください。

私は40年以上の指導経験から、どんな結果が出るかなんとなくわかり、いつも思った通りの結果が出ているので、感動もせず落胆もしないのです。

落胆する親御さんは、自分の子供を過信しているかもしれません。

親は、子供の前で落胆しないようにして欲しいと思います。

親が結果に落胆すると言うことは、子供に期待をしていたということです。

子供は、親の期待に負担を感じたり、子供によっては、親の期待に潰されそうになる子供もおります。

「ピアノ、嫌(いや)」。結城美帆子

ブルグミュラーコンクール・ファイナルに出場する年少さんの〇〇ちゃん、昨日「ピアノ、イヤ」と人前ではじめて言ったとお母様からメールを頂きました。

コンクールは、音楽を深く勉強することなので、年少さんにはつまらないかもしれませんね。

小さいお子さんは、ピアノが弾けることに喜びを感じますから、「ここは強く弾いて」とか「ここは弱く弾く」とか色々うるさく言われるとピアノが楽しくなくなってしまうかもしれませんね。

同じ曲でも、下手くそな演奏と上手な演奏の違いを聴き分ける感性と耳を育てることが重要です。

指導者や大人が、「こう言う風に弾くと上手なのよ、こう言う風に弾くと大きなトロフィーがもらえるのよ」と言っても、本人が望まなければできないかもしれませんし、心を教えないと、心を伝えないと、意味を伝えないと、調教になってしまいます。

どうしたらトロフィーがもらえる演奏をさせることができるか?

子供の将来を考えて、トロフィーを取らしてあげたいと思っても、本人が心からトロフィーが欲しいと思わなければ本人の為にはならないかもしれませんね。

子育ては大変ですよね。

子育てに成功なんてないですしね。

子育ての成功本みたいなものがありますが、たまたま親の思ったように子供が育ってくれただけのことです。

人間の心は非常に複雑ですから、難しいのです。

ただ、どんな結果が出ても、思うような結果が出なくても、思うように練習ができなくても、愛を与えることを忘れないように致しましょう。

頑張って欲しいとは思いますが、みんながみんな頑張れるわけではないですし、それは子供だけではなくお母様にも言えることではないかと思います。

たくさん頑張れる人もいれば、少ししか頑張れない人もいる、色々な人がいるのが世の中です。

お子さんが、もうブルグミュラーコンクールの課題曲の練習は嫌ならば、ファイナルは棄権しても構わないのではないかとも思います。

ファイナル出場やファイナルの結果にこだわることなく、本人が望むように新しい曲に進んでも良いのではないかとも思います。

「課題曲の練習は嫌」と言うことは、ファイナルに出場したくないし、トロフィーもいらないということではないかと思います。

小さいお子さんですから、ファイナル出場の意味もわからないと思いますし、トロフィーをもらう意味もわからないと思いますが、精神分析の観点から考えると、〇〇ちゃんの主体を尊重しても良いのではないかと思います。

もう少し成長すると欲が出てきてトロフィーが欲しいと思うようになるかもしれません。

本人の主体性を大切に見守ることも愛情ではないかと思います。

指導者としては頑張って欲しいと思いますが、精神分析家の立場からは、本人主体で良いのです。

どんなに小さい子供であっても、精神分析では、自分の責任において自分で決定することを求めます。

それが自立して生きて行くことになって行くのです。

指導者や親は、色々なものを与えますが、最終的に選ぶのは本人の主体が選び決めるのです。

たとえ逃げるような行為でも、本人の責任と考えるのが精神分析なのです。

子育てって難しくて、歯がゆくて、大変ですね。

結局、親って何にもできないのかもしれません。

ラカンは、「愛とは無を与えること」と言っております。