お盆、看取り。結城美帆子

救急車のサイレンを聞くたびに母を思い出します。

母を数回診察していただいた東京の不整脈を専門にしている医師が、「ためらわずに救急車を読んだほうがいいですよ、一人で看取るのは辛いですから」と言われておりましたので、脳梗塞を再発するたびに(7ヶ月で4回)救急車のお世話になりました。

あるデータによると、茨城県は脳梗塞の死亡率がワースト1です。

救急システムの問題なのか、家族がいくら早く脳梗塞を発見し救急車を読んでも、病院で診断を受け治療を受けるまでの時間が長いのです。

国は、医療費削減の為に入院日数を減らして在宅医療を推奨しておりますが、在宅医療とは「もう治療ができないから、家で死ぬのを待ってください」ということです。

医療から見捨てられるのです。

阿川佐和子さんがお父様を後入院させていた病院は、最期まで入院させて頂けますが、家族の金銭的な負担は1ヶ月50万円〜100万円以上と莫大です。

国民皆保険制度が始まって60年、国民皆保険制度が出来る前は、医師が死亡を確認しないで役所に死亡届を出せたのかもしれませんが、明治〜昭和34年までに亡くなった人の死亡理由と時間が「何時頃」と記載されておりますので、医師が看取ることはなかったのでしょうね。

国民皆保険制度が始まる前は、医師に診てもらうことも無く亡くなって行った方が多かったのでしょうね。

現在は、医師の死亡診断書がないと死亡届が出せませんし、死亡届を出さないと火葬許可書が出ないし、埋葬許可書が出ないので埋葬ができないのです。

法律に則って進めていかないと、法律違反をすると、逮捕されますからね。

私は、祖父母から始まり家族6人を看取りましたので、その都度、死亡診断書を手に、順番に行って、埋葬許可書を頂き、埋葬してきました。

看取りは、何回しても辛いです。

看取りになれはないです。

病院で死んでも、家で死んでも、亡くなる時に医師や看護師がいるわけではないので、看取りは家族だけなのです。

死期が近づいた時の苦しそうな呼吸を見ているのは辛いです。

後々まで残ります。

おそらく、医師も看護師も、本当の意味で看取りは行っていないように思います。

なぜなら、死に行く患者にずっとついているわけではないからです。

今の医療のシステムでは、家族のフォロー、家族のケアをしてくれる人がいないので、グリーフワーク(喪の作業)が出来る環境が欲しいですね。

心理学や精神分析を学んできた私でも大切な家族の看取りは辛かったです。

今日は、お盆ですが、私は自身は無宗教なので、お寺さんに行く気になれませんし、お線香をあげる気にもならないのです。

お寺さんは、死んだ人と家族の心を食い物に商売をしているようにしか思えないのです。

お盆は、仏花も高くなりますね。

お花屋さんにしてみれば稼ぎ時なのでしょうけど、嫌だな。

私が死んだ人にできることは、感謝と祈りだけです。

毎日、心の中で感謝をし、祈りを捧げております。