石岡市で放課後ディサービスの事業所を始めようと考えているのですが。結城美帆子

顧問の税理士さんも潮田先生も賛成ではないようです。

田舎の人は、障害者を産んだということで肩身がせまい思いをするとのことで、ましてや、放課後ディサービスを利用する人は少ないと言われました。

田舎は、まだまだお嫁さんの立場が弱いようですね。

なるべくなら、障害があることを隠したいと思う人が多いと言われました。

人間は、けして平等ではないとも言われました。

医療にしても平等ではないとも言ってました。

お金がない人は、最低の医療しか受けられないように徐々になっていくであろうとも言ってました。

健常者と障害者の線引きはしないほうが良いのではないかとアドバイスを頂きました。

健常者と障害者が一緒に発表会を行うと、レベルが下がってきたので分けようと思ったのですが、もう一度考えます。

福祉の事業所は頭打ちみたいです。

福祉の事業所は、飴と鞭で言うなら飴なんです。

そろそろ鞭が来るかもしれませんね。

精神分析観点から子供にとって良いミルクとは。結城美帆子

『子供にとっての「良い/おいしい」ミルク、それは、母親が優しく微笑みながら与えてくれるミルク、そして実際本当に欲しがっているかどうか、自分の全身に常に気を配りながら飲ませてくれるミルクである。

一言で言えば、子供は、ミルクと同時に、母親の「愛」を飲もうとするのだ。

先に、「愛とは、持っていないものを与えることだ」というラカンの定義について説明した。

母親の「愛」とは、彼女にとって最も内密な、何ものにも占められていない「無」という場所を捧げることである。

この「無」の場所の存在を告げ、そこに導いてくれるミルク、そこで自分の存在を確立し、自信を持って成長することを促してくれるミルクが、子供にとって最上のミルクなのである。』

向井雅明氏「考える足」より抜粋。

愛で満ち溢れた社会になるといいですね。

精神分析的観点から考える。結城美帆子

ラカン派の精神分析家向井雅明氏の「考える足」をあらためて読み直しております。

19人殺傷事件を起こし自殺してしまった容疑者が、もし、まともな精神分析家に出会うことが出来ていて、精神分析を受けることが出来ていたなら、今回のような悲惨な事件を起こすようなことはなかったかもしれないと思いました。

『精神分析的観点は、子供の精神疾患を扱うにあたって、その原因を脳の障害に帰すことはせず、また、親一人に責任を負わせることもしない。その子の育った環境や、親の存在の重要さを踏まえたうえで、精神分析はこう考える。

どのような環境に育ったのであれ、疾患はその子自身の「責任」である、と。言うまでもなく、「障害を持った子供が悪い」などと見なしているわけではない。

「人生はその人のものであり、自らの身に起こったことは、どれだけ不条理なことであれ、自分なりに引き受けなければ、結局のところ人生そのものを失ってしまうことになる」という考えに基づいているのだ。

そして実際に、精神分析の実践は、患者が自らの運命を自分のものとして引き受けることを目指してきたのである。』

向井雅明氏「考える足」著者より抜粋。

私は、精神分析は最後の砦ではないかとさえ思っております。

世の中には、不条理と思うことも、理不尽なことも有ります。

世の中には、我が子を愛せない母親がいるのも事実なのです。

我が子を殺してしまう母親がいるのも事実なのです。

障害がある子供を産んで嘆き悲しみ心中しようと考える母親がいるのも事実なのです。

誰に相談しようとも、結局は、自らの身に起こったことは、どれだけ不条理なことであれ、どんなに理不尽なことあれ、自分なりに引き受けなければ、自分の人生を生きていくことはできないのです。

精神分析は、とっても辛い作業ですが、人生を失うようなことはないと思います。

精神分析は、経験してみないとわからないことでもあります。

虐待を受けて育った人は、親になった時に我が子を虐待してしまうというような負のスパイラルが起こりやすいと言われます。

川崎市登戸のような事件を起こさないようにするためには、愛を育てることではないでしょうか。

まずは、子供に愛を注ぐことができるように母親を愛で支えることです。

母親が愛で満たされていれば、我が子をたっぷりの愛情で育てることができると思います。

川崎市登戸の殺傷事件と同じような事件が起きない事を願う。結城美帆子

自分もと思っている人がいると思います。

その人たちに油を注がないようにして欲しいと願っております。

人間、追い詰められると自暴自棄になります。

他者との関係性が人間の心を失わないでいるために大切なのです。

解離性人格障害の人は、自分を守るために別の人格を生み出すと言われております。

妄想にも意味があるのです。

国会議員だって大臣だって追い詰められて自殺した人がいます。

奥さんと自分の2人の子供を殺害し横浜の海に投げ捨てた筑波メディカルセンター病院に勤務していた医師もおりました。

患者として通ってきていた女性を愛人にし愛人が別れ話を持ち出したら愛人の首を絞め殺害し自分も首を吊って死のうとしましたが未遂に終わり懲役10年の刑を言い渡された精神科医もおります。

どんなに勉強ができても人間追い詰められると何をするかわからないです。

命を守ることが仕事であるはずの医師でさえ殺人を犯す人もいるのです。

子供って、時には残酷な事を平気で言ったりします。

犯罪を犯すような人の地雷を踏まないように普段から教える必要があると思います。

とっても難しいことかもしれませんが、世の中には心を病んでいる人もいるということを教えて対応の仕方も教えることも必要ではないかと思います。

私は障害がある人にもピアノを教えておりますが、目に見えない障害を持っている人が持っている赤十字マークを持っている人がいると避けてしまいます。

正直怖さもあるのです。

一度地下鉄に乗って椅子に座っていたら、赤十字マークを私に見せて「僕は障害者なので席を譲れ」と言われたことがありました。

その時は、まだ赤十字マークが見えない障害を持っている人が持っているものと知らなかったのですが、怖かったです。

どんな障害がある人なのかがわからないから怖いです。

差別は良くないと思いますが、自分の身を守ることも大切ではないかと思います。

当教室にも、時々自覚をしていない人格障害者であろう人がレッスンにお越しになられることもございます。

精神障害の方は、保護者の方が付き添われてお越しになられます。

私は多少専門的な勉強をしているので、何度かお目にかかってお話をすると、人格障害の特徴が現れてくるのでわかります。

彼らは、長続きはしませんので、地雷を踏まないようにしていれば大丈夫なのですが、万が一他の生徒さんに迷惑をかけないように前後には生徒さんをいれないようにしておりますので安心してレッスンにお越しくださいませ。

健常者も障害者も安心して暮らせる世の中になるといいですね。

何か事件が起きると、世間が排除の方向に動くので怖いです。

本日29日〜31日の三日間はレッスンがお休みですが、今日は弁護士の先生の事務所へ行きました。

明日は、都内で会議があるため出かけます。

31日は、掛谷先生にご紹介を頂きました都内の同愛記念病院の副院長先生にお目にかかる予定です。

レッスンがお休みの日でも慌ただしく動いております。

昨日のレッスン。結城美帆子

大人になってピアノをお始めになられた熟年の生徒さんのレッスンがありました。

生徒さん「ピアノは簡単弾けると思ってましたが、自分で思った通りに指が動かない」

私「ピアノは誰でも簡単に音を出すことは出来る楽器なので、簡単に弾けると思われがちで、簡単に弾けることを売りにしているピアノ教室が多くありますが、ピアノは簡単に弾ける楽器ではないです。簡単に弾ける楽器じゃないから価値があると思います。フルートなどは音が出るようになるまで時間がかかりますし、バイオリンも最初はギーギーですからね。どの楽器も簡単には弾けないから楽器の演奏は価値があると思います。なぜなら、楽器の演奏は、継続した努力が続けられた人のみが得られる幸せだからです。」

10,000時間の法則というものがあります。

10,000時間練習をすればそれなりになるということです。

ピアニストになるまでには、最低でも10,000時間の練習をしているということです。

毎日2時間練習をしたら、15年で10,000時間達成できます。

毎日4時間で7年と半年。

ただ、子供は習い始めた時から毎日2時間の練習は無理ですから、最初は30分程度で、じょじょに3時間から5時間くらいの練習ができるようになりますので、10年で10,000時間が達成できるのです。

ただ10年続ければ上手く弾けるようになるわけではありません。

ピアノは、頭と指(身体)の両方をフルに使わないと弾けないのです。

ピアノは、頭と身体をフルに使って10,000時間弾き続けると上手に弾けるようになります。

ピアノを習い始める時に、おおよそのピアノを弾く時間の計画を立てることをお勧め致します。

上級レベルまで弾けるようになるには、10,000時間の練習が必要です。

私は練習という言葉は好きではないので、ピアノが上手に弾けるようになるには継続して10,000時間弾くことができるかどうかです。

犯罪被害者も犯罪加害者も生み出さない為に私達が出来る事。結城美帆子

今日の川崎市登戸の19人殺傷事件の犯人の50代の男は、死んでしまったから真相は闇の中だと思いますが、おそらく何らかの人格障害ではないかと想像します。

被害者は気の毒と思いますが、加害者も可哀想に思います。

加害者は、愛を知らずに育ったのでしょう。

被害者は、愛されずに育ったのでしょう。

愛は、人間が育つ時の栄養素となるのです。

愛情飢餓は、脳を萎縮させるとも言われます。

誰かに心から愛された経験があれば、加害者にならずに済んだかもしれません。

「自分は人から恨まれるような事はしていない」とか「自分は人から恨まれるような生き方はしていない」などと堂々とおっしゃる人がおりますが、本当でしょうか?

案外、自分では気づいていなかっただけで、相手を傷つけているかもしれませんよ。

統合失調症は自覚がないと言われてますが、人格障害は悪いと自覚しているようです。

人格障害は、治療が困難とも言われており、特に境界性人格障害は、治療者が巻き込まれやすいので治療を受け入れていない精神科医もいるくらいです。

事件は連鎖します。

人格障害者は、自分から治療を受けようとは思わないようなので、事件を起こさない限り社会の中で自由に暮らしてます。

知的レベルも高い人が多いですから、すぐそばにいてもわからないと思いますが、何度か話をしていると、被害妄想のようなものが出てきますからわかります。

子供には、とっさの時の逃げ方を教えておくと良いと思います。

世の中には、愛に飢えている人もいるという事を教えておくと良いと思います。

人格障害者は、本当の愛を実感できれば回復できると思います。

犯罪加害者を生み出さない為には、愛に満ちた社会にすることです。

お子様は、他者の痛みがわかる人間に育てましょう。

自分がされて嫌なことは、他者にしないようにすることを教えましょう。

人間の心は、教えないとわからないまま育ちます。

音楽は、愛です。

私は、音楽の力で、愛に満ち溢れた社会を実現したいと思っております。

愛とは何か?

「愛とは持っていないものを与えること」とジャック・ラカンは言います。

涙が止まりません。結城美帆子

川崎市登戸の事件で、犯人の男性と刺された小学生が亡くなったとのこと。

今日は、ピアノを弾く気になれなくて、これから気分転換に散歩に出かけます。

レッスンが始める前までには、なんとか気持ちを入れ替えられるよう頑張ります。

老人や障害者など弱者に冷たい社会だとこのような事件は増えるでしょう。

彼らの最終目的は自死です。

自傷他害は、行政による精神病院への措置入院となりますが、自殺が成功すれば措置入院されることもなく、目的を達成できるのです。

悲し過ぎると思いませんか?

私は、悲しくて悲しくて涙が止まりません。

川崎市登戸で悲惨な事件が起きてしまいましたね。結城美帆子

カタリス小学校は、カトリック系の小学校で、倍率も高い小学校で有名です。

とても躾が行き届いているご家庭のお子様がほとんどと言われております。

私は半蔵門線をよく利用するので、カタリス小学校の子供達をよくお見かけします。

私は、この事件は犯人の世の中に対しての無言の抵抗なのではないかと思います。

今のような社会が続くと暴動が起こると思います。

精神科の疾患が増えているのも、同じような理由ではないかと思います。

精神科の初診の予約は3ヶ月先じゃないと取れないとのことです。

自己責任ばかりを言うのではなく、思いやりの気持ちがあるといいですね。

でも、みんな余裕がないのでしょうね。

政治家さん、なんとかして欲しいですね。

そうしないと、このような事件がまたおきますよ。

カタリス小学校に通うお子様たちは、裕福なご家庭のお子様たちのようですから、もしかすると、歪んだひがみもあったかもしれませんね。

昨日のレッスンで。結城美帆子

アメリカから帰国されたばかりの幼稚園生でしたので、英語の歌も有るバステインを使ってレッスンを始めたのですが、拍子の中にリズムを割ることが上手く出来なかったので、途中からバイエルに変更しました。

現在、小学1年生です。

昨日のレッスンで、レッスンが終わった時に「バステインとバイエルどっちが弾きやすい?」と聞きましたら、「バイエル」とお答えがありました。

バイエルに変更してからは、ミスタッチが少なくなり、初見演奏がスムーズになっております。

バステインは、楽しい曲で出来ているのですが、弾き方の基礎がわかりやすく学べるのはバイエルではないかと思います。

バステインは、曲目が付いているので楽しそうなのですが、バイエルは番号しかついておりませんから楽しそうには見えないのです。

なので、バステインとバイエル両方の教則本をご覧頂いて生徒さんと親御さんにどちらかをお選び頂くと、これまで全員がバステインを選ばれました。

バステインは、教則本に毎日家でやる課題も書いてあるので、親が毎日練習に付き合えるご家庭の方でないと難しいように思います。

私は、幼児でも本人主体にレッスンをしておりますので、原則親が家で子供の練習に付き合わなくても大丈夫なのです。

幼児でも弾ければ楽しいですから1人で弾きます。

家で練習しないのは、弾けないから、できないから弾かないのです。

生徒さんが練習しないのは、指導者に責任があるのです。

お家で弾けるようにして家に帰すようにしないとダメなのです。

その為には、生徒さんの理解力により30分レッスンでは両手のレッスンまでできない時があるので足りないときがあるのです。

私のレッスンは、まず楽譜を読むことから教えて、次に右手のレッスン、次に左手のレッスン、次に両手のレッスンをして、両手で弾けるようにしてお帰り頂くようにしておりますが、生徒さん能力によって30分のレッスンで1曲仕上がらない方もいるのです。

目安として、バイエルは30分レッスンの場合1曲を両手で弾けるようにしておりますが、生徒さんの能力によって1曲を弾けるようになるのに60分かかる方もおります。

レッスンでスラスラ弾けるようになったものを家で練習するのはけして大変ではないと思います。

できない曲を練習するのは大変だと思います。

昨年までは、生徒さんの状況によって、サービスで無料で延長してレッスンをしたり、時間が延長できない時は別の日にお越し頂いて無料で補講レッスンをしたりもしておりましたが、不公平感もあるので、現在は30分レッスンの方は30分まで、60分レッスンの方は60分としております。

ただし、コンペティションに参加される方の補講レッスンは、時間に制限を設けず2時間程度レッスンをしている生徒さんもおります。

私は、どの生徒さんもピアノが上手に弾けるようにしたいのです。

ただそれだけなのです。

私が出来ること。結城美帆子

世の中には、色々な人がおります。

考えも様々で、価値観も様々です。

当教室にも、色々な人からの問い合わせが有り、色々な人からの体験レッスンのお申し込みが有ります。

そして、色々な生徒さんがおりますが、わたくし結城美帆子は、どのような生徒さんであれ、楽譜を正しく読みピアノの正しい弾き方を教えることと、精神分析的心理療法しか出来ません。

私はラカンの精神分析を学びラカン派の精神分析を受けておりますので、ロジャーズ派のカウンセラーのように、共感的態度や共感を強いる一般的なカウンセリングは出来ません。

人間それぞれですから、相手の心の痛みがわかるということはできないと思うのです。

もし、私が、どなたかから「あなたのお辛い気持ちわかります」なんて言われたら「何がわかるの」と思います。

相手の心の痛みに想いを馳せることは大切だと思いますよ。

でも、想いを馳せることと、わかるということは違います。

人間は、自分自身が生きていかなければならないのです。

人間は、自分自身の人生を自分で生きていかなければならないのです。

子育ての最終目的とは、子供が自分で稼いで生きていくことができるように礎を築いてあげることではないでしょうか。

親は、子供が幸せな人生を送れるようにと一生懸命に教育しているのではないでしょうか。

高校や大学に行かせるのも、少しでも良い学校に合格できるように学習塾の通わせたり、子供の幸せを考えてのことと思います。

私がピアノを習っていた頃は、まだ一部の人しか習う人がおりませんでしたが、ピアノの先生になれば、自宅で生活の糧を得られるからという親心で習っていた人が多かったと思います。

私は、高校から普通科ではなく音楽科を受験しましたし、小学生の時から受験したい高校のピアノの先生にレッスンを受けておりましたので、周りに趣味の人はおりませんでした。

ピアノを弾くのが何よりも好きだったので、音楽の高校に行きたいと思っておりましたし、ピアノの先生になりたいとも思ってました。

ところが、ギッチョンチョン、好きピアノを弾いているのと、専門的なピアノの勉強は、全く違っており、そこから人生の色々なことを考えるようになりました。

音楽の勉強が嫌になり、転校したいとも思いましたが、色々な人に反対され、最終的に当時レッスンを受けていた世界でオペラ歌手としてご活躍されていた東敦子先生に「とりあえず今の高校を卒業しなさい」とアドバイスを頂き我慢しました。

でも、教えるきっかけになったのも、東敦子先生に「お弟子さんとったら、教えるとあなた自身の勉強にもなるから」と言われて、ピアノと声楽を教え始めました。

音楽大学の一般教養で心理学や哲学の授業を受けているうちに、心理学や哲学をもっと深く勉強したくなり、ラカンの精神分析にたどり着き、自ら精神分析経験し、現在の私があります。

もし、東敦子先生に出会うことがなかったら、ピアノを教えるということはなかったと思うので、生徒の皆さんにお会いすることもなかったと思いますし、精神分析を経験しなかったら、障害者にピアノを教えることはなかったと思うので、これまた皆さんにお会いすることもなかったと思います。

東敦子先生と向井雅明先生のお二人に出会うことがなかったら、今の私はなかったのです。

出会いって大切ですね。

今は、この仕事を天職と思っております。