ASD

ASD、日本語で言えば、自閉症。

私は、精神分析家になる為に必須とされている「教育分析」(自ら分析を受け自分の問題を処理しておくこと)を、フランスに25年滞在しラカン研究の第一人者でラカン派の精神分析家向井雅明先生に15年に渡り、精神分析家になる為に必須とされて「教育分析」(自ら分析を受け自分の問題を処理しておくこと)を受けました。

向井先生は、精神分析の観点から自閉症の研究も行っており、著書や翻訳を多数出版されており、東京精神分析サークルの代表者でもあります。

東京精神分析サークルのコロック(研究会)では、自閉症についての論文発表が多くなっており、私も毎回参加をさせて頂き勉強をしております。

東京精神分析サークルのコロックで、滋賀大学医学部教授の久保田先生の発表を聞いたことがきっかけで、自閉症が疑われる生徒さんで親御さんのご理解が得られそうな場合は、画像診断をお勧めしております。

久保田先生に直接伺わせて頂いたのですが、統合失調症の脳は画像ではわからないけど、自閉症の脳ははっきりわかるとおっしゃっておりました。

ただ、日本で、自閉症の脳の画像診断を研究している人は非常に少ないし、医師だから誰でも画像診断ができるわけではないともおっしゃっておりました。

私は、医師ではないので法律上診断はしてはいけないので、想像としか申し上げらてないのですが、今まで医師の診断をお勧めした生徒さんは、百発百中で、全員が想像通りの診断結果でした。

でも、いつも心で「私の想像が間違いであってほしい」と思っているのです。

経験と知識でわかるようになってしまったのではないかと思います。

精神分析は、転移と逆転移で治療が進んでいくのですが、治療ではなくても、相手を精神分析的な見方をしてしまうようなのです。

自閉症者の場合は、心が無いと申しますか、穴を感じたり、ゴーストバスターズの映画の最後のシーン、心に思ったものに変化するゴースト、映画ではマシュマロになったと思います。

自閉症者は、主体が無いから、相手が心に思ったものに化けると申しますか、自己が無いと申しますか、鏡を見ているような感覚になるときもあるのですが、こういうのを逆転移と言ったりします。

分析家は、逆転移から自分の心の状態と患者の心の状態を把握して、患者の主体を引き出すように導き、患者が主体的に自分の人生を生きられるように導きます。

これは、分析家の習性なのかもしれません。

精神分析を学び精神分析を経験する以前の自分に戻ることはないようです。

どなたとお会いしても、どなたと話をしても、精神分析の観点から相手を見てしまいます。

想像ですが、心理学を学んだ人は、心理学的な見方をするのではないでしょうか?

お医者様は、診察室以外でも医学の知識を全く抜きにして人を見ることができるでしょうか?

私の教室には、内科や眼科、脳外科、精神科、整形外科、泌尿器科、耳鼻科、など色々お医者様のご子息がレッスンに来ておりまして、体調が悪い時などは何か言われるのではないかとヒヤヒヤしております。

自閉症の生徒を教えるのをそろそろやめようかとも考えてもいたのですが、私にしかできないことでもあり、私にしかできない指導方法でもあり、私が教えることで生徒さんたちが少しでも主体的に自分の人生を生きられるようになり、幸せになってくれるのであれば、命がをかける価値があると思いましたので、命が尽きるまで頑張ろうと思います。

自閉症かもしれないけど、知的に問題がない場合は、相談するところがないのではないかと思います。

知的障害や問題行動がある場合は、行政が行っている相談窓口があり、そこから臨床心理士がいる医療機関を紹介されるようです。

私が所属している東京精神分析サークルの会員の中にも臨床心理士が数名おり、問題がある子供が紹介されてくるとのことです。

私のようなものが受け皿になっても良いかもしれないとも思いました。

自閉症でも、何か得意なものがあると何かあっても自信を持って生きられます。

ピアノが得意なものとなってくれることを願ってピアノを教えております。

ピアノは、継続することで上達できます。

逆に申せば、継続した人しか上達できないのです。

ピアノは続けて、上達して、ピアノが得意と言える人に育ってくれることを願っております。

ピアノを教えるのに、一般的な人も自閉症の人も関係ありません。

みんなが上達できるように一生懸命に教えます。