2台8手ピアノ二重奏のレッスン。結城美帆子

30代〜70代の4人で11月5日(日曜日)につくば市民文化祭に参加するための2台8手ピアノ二重奏のレッスンを行いました。今日は2度目のレッスンでしたが、1度目のレッスンとは見違えるように息があっており皆さん忙しい中一生懸命練習されているのがよくわかりました。ただピアノを習っているだけではなく、2台8手ピアノ二重奏は一人一人責任がありますから緊張するでしょうし練習もしなければならないので大変ですが、喜びと楽しさは倍増していると思います。2人で2台4手ピアノ二重奏よりもお互いの音を聴く必要があるので緊張感は強くなると思いますが、爽快感も大きいと思います。ほどほどの緊張感が脳を活性化させると思いますので、ピアノを楽しみつつ脳を活性化し健康寿命をのばしましょう。ピアノのお仲間ってなかなか良いものですよ。私の希望は、習い始めた熟年の方々で2台8手ピアノ二重奏でつくば市民文化祭に参加することです。熟年になってピアノを始める本当の良さを伝えたいと思うのです。認知症の予防には、自分で弾いて自己満足するだけではなく、自分の音を聴いて他の人の音を聴くことが大切なのではないかと思うのです。そして、心から楽しいと思えること、心から喜びを感じられることが大切なのではないかと思うのです。ピアノは、障がいがあっても楽しめます。ピアノは、片手でも弾けますし楽しめます。それこそ、一本の指で皆んなで楽しむこともできます。誰でもピアノのお仲間になれます。ピアノで心と体を元気にし、困っている人がいれば手を差し伸べることができる優しい人がいっぱいいる社会をつくりたいのです。思いやりのある優しい人を育てたいのです。人は誰でも年を取り老いて行き死にます。脳梗塞を患い身体を動かすことができなくなりしゃべることもできなくなって入院している母を今日レッスンが終わって病院に見舞いに行ったら、顔も身体も汗でビショビショで上掛けの布団をかけられておりました。同室の他の3人はタオルケットだけをかけていたのですが、母だけがタオルケットと上掛けの布団をかけられて汗をビショビショにかいていたのです。こんなものなのです。私は、ピアノのレッスンで、他人の痛みに思いを馳せることができる人を育てたいのです。他人の痛みに思いを馳せることができる人がたくさん育てば、他人の痛みに思いを馳せることができる看護師さんも増えるでしょうから、母のように汗だくで我慢を強いられる患者がすくなくなると思うのです。「70歳を過ぎたら救急病院へ来るべきではない」と言う医者や、「繁殖能力が終わったら延命のための治療は受けるべきではない」などと言う著書があったり、「生産性な無い人は、、、」などと口に出すこともできないようなことを言う人もおりますが、みんな一生懸命に生きているのです。「死んでも良い」なんて誰も思わないのです。思わされている人はいると思いますが、自殺をした人だって本当は死にたくなかったはずです。老人ホームや障害者の施設では一般的に臨終の時に職員が看取るとは限らないのです。朝、最初に出勤した職員が死んでいるのを発見して医師が死亡を確認した時間が死亡時刻になりますので、実際に死んだ時刻が死亡時刻ではないのです。職員は時間で仕事をしてますので、夜9時の見回りの時は息があったけど12時の見回りの時は息がなかったと、翌日の申し送りの時に伝えられるのです。老人ホームと障害者の施設は経験があるのですが、おそらく病院も同じだと思います。最近は「看取り加算」なるものがありますから多少違うかもしれませんが、在宅医療で退院後死亡した場合30日さかのぼって看取り加算を請求できるようです。また、20人以上の看取りで加算されますので、看取りの多い診療所の方が診療報酬が高く支払う金額も高いと言うことになります。死ぬ時にこんなにもお金お金って悲しくなります。心心と言っている私がバカなのでしょうか?私自身は救急病院のお世話になるつもりはありません。私は母のように我慢強くないから無理です。男性の看護師に素っ裸にされ「おしも」の世話をされるのなんて耐えられない。母は偉いと思う。