音楽の喜びは生きる喜び

音楽の喜びは生きる喜び

皆さま、おはようございます。

ピアノ教師の結城美帆子です。

本日もブログにご訪問頂き誠に有難うございます。

本日は「音楽の喜びは生きる喜び」というお話です。

精神分析家ジャック・ラカンは、「人間の欲望は他者の欲望である」「愛とは無を与えること」と申しております。

ラカンを読み理解するのは難しいですが、何度も何度も読み返して今に至っておりますが、この頃やっと、わかると申しますか、こういうことかもしれないと思えるようになりました。

人間が生きていく上で、「人間の欲望は他者の欲望である」「愛とは無を与えること」、この2つは大切なことで、ピアノを指導していく上でもいつも頭に置いています。

人間は、男と女の欲望により生まれてくるわけです。

自分から生まれたいと思って生まれてくる子どもはいない。

子どもは親を選んで生まれてくるわけではないし、親も「器量良しで五体満足で頭の良い子」を我が子に選ぶことはできない。

まさに「神のみぞ知る」です。

ニワトリとタマゴのお話が有り、フランスには子どもの歌としてもあるのですが、どっちが先かと終わりがないお話です。

タマゴが先か?ニワトリが先か?

皆さんは、どちらが先だと思われますか?

アダムとイブのお話のように、もし、神様だったら、どちらを先にしたでしょうか?

私が、この歌を初めて知ったのは、小学四年生の時でした。

それから、ずっと考え続けていましたが、大人になり色々なことを学びまして、今でも学びは続いていますが、ある年齢になった時に、神様は先にニワトリをお創りになられたのではないかと思うようになりました。

理由は、タマゴは育ててくれる親がいないと、ヒヨコになれず死んでしまうからです。

子どもは、産みっぱなしでは生きられず死んでしまいます。

子どもは、育てないと育ちません。

障害があるお子さんを育てている親御さんに、「この子はあなたが優しい人だから、あなたを選んで生まれてきたのよ」と慰めのつもりで声をかける人がいますが、馬鹿かと思ってしまいます。

障害がある子どもを育てるということが、どれだけ大変なことか?わからない人が言うべきことではないと思います。

私は、これまで障害者にもピアノを教え、ピアノ以外でも障がい者と携わってきましたが、その中のお一人の方が、特別支援学校に通う小学2年生女の子の首を絞めて殺害してしまったお父様がおりました。

このお父様は、市役所の職員でした。

教育に携わる部署に長くいらした方で、小中学校の市民合唱祭の時は、ホールの裏方をされたり、サブリーダー育成の行事には子どもたちを引率していました。

とてもお優しい方でしたので、ニュースで知った時は驚きました。

みんな凄く努力をしているのです。

ただ、努力も必要ですが、喜びも必要です。

人間は、どんな生まれ方であれ、どんな親から生まれてきたかに関係なく、幸せになるために生まれてきたと思うのです。

その人なりの幸せがあるはずです。

その幸せを見つけることも生きることなのではないでしょうか?

子どもが何を幸せと感じるかは、子ども本人にしかわからないのです。

親は、子どもが幸せを得るためのスキルを与えサポートをすることしかできないのです。

私は、ピアノ教師として、ピアノの楽しさと喜びを伝えることしかできませんが、ピアノの喜び音楽の喜びは、生きる喜びに繋がると思っています。

理由は、音楽で人と繋がれるからです。

音楽は、分かち合うことができるからです。

それは、健常者も障害がある人も同じです。

ピアノで音楽で幸せの輪を繋ぎましょう!