自分の親の介護をしない役人や医師に家族の気持ちがわかるはずないかも。結城美帆子

法律では、医療的なケアが必要な人が利用することが出来る老人介護施設や療養病院は最長3ヶ月までが上限と決まっているのに、ほとんどの施設や病院は医師が経営者のためだと思いますが、私が仕事で携わっている事業所には、3ヶ月を過ぎて利用している医師や役人の親たちがいる。どう言うことなのでしょうか?また、60歳までしか入所できない施設に60歳を過ぎても措置変えにならずにいた人もおりました。役人と医師である経営者、そして医師と医師の、持ちつ持たれつの癒着としか思えません。民間人は「お役人様」「医者様」と言ってごますりをしなければならないのでしょうか?確かに法律では「最低限の」と言う文言が入っているけど、最低限の生きる権利を保障されただけで人間生きていけるでしょうか?人間が生きていくためには、心の栄養も必要です。私自身は、介護保険を使うつもりはない。介護を受けてまで生きていこうとは思っていない。母もお役人様が勝手に病院へ連れて行き介護の認定を受けてしまったが、介護保険は一度も使っておりませんでした。私は、性格上も介護を受けるのは無理です。母のことでさえも役人とやり取りするだけで血圧が上昇してしまうのですから、そのうち私の頭の血管が切れて終わりになるかもしれません。よくよく考えてみませんか。国民健康保険も介護保険もなくなって一番困るのは、役人と政府と実力の無い医師ではないでしょうか。実力のある医師は、保険医を返上して診療をしている人が多くなってきています。急性期病院と回復期病院は選べませんが、かかりつけ医は選べるのです。確かな診断と確かな治療が出来る医師を選んで介護保険なんか使わないで生きていきませんか。私は音楽の仕事ができなくなったら死んでも良いと思っております。ピアノが弾けなくなったら私は生きていけないと思います。ピアノは、母が私に与えてくれた唯一の宝物ですなのです。だから、ピアノは母であり私です。人間が生きていくのに必要なのはお金だけじゃないと思いますよ。生活保護法でお金を与えて最低限の医療と介護と食べ物を与えれば生きていけると言うものではないと思いますよ。後から後から色々な法律が出来るけど、法律って役人のためにできているのですよね国民を守るためにできているとは思えないです。国民健康保険ができた理由の一つは、結核患者が増えて死人が増えて働き手がいなくなって困るから、結核患者を病院に行かせるため、結核を撲滅するためにできた法律だと昔聞きました。国民健康保険法の施行は、昭和34年、1959年です。国民健康保険ができる前は、医者に診てもらうのはお金が高くて大変だったそうで、「医者に診てもらえて死ねたんだから幸せだ」と言っていたそうです。自己負担がゼロで医者に診てもらえるのは、ライ病や精神病など強制的に隔離をされる場合です。個人を守りためではなく、国民を守るためでしょうが、障害者福祉法の名の下に、障害者を国民の納めた税金で隔離管理をするのはいかがなものでしょうか?発達障害者支援法も医療観察法も障害者支援法も介護保険法も最低限の生きる権利を与えられる代わりに自由が奪われるのです。元気な認知症者は手間がかかるから介護度は高いけど、寝たきりになった認知症者は手間がかからないから介護度は低いと言うことです。