人間の持っている能力には、残念ながら個人差があります。
勉強が得意で、それほど努力をしなくても楽々わかってしまう子もいれば、人一倍時間を使っても教科書の内容がなかなか理解できない子もいます。
ピアノでも、一度教えれば音符が読めるようになる子もいれば、何度も何度も繰り返し教えてもなかなか音符が読めるようにならなかったり、指番号を覚えられない子もおります。
頑張ってもいい結果が出ない。
それが何度も続くと本人の心の中に苦手意識が生まれてきます。
そうこうしているうちに、勉強すること(ピアノを弾くこと)自体が嫌になってしまうかもしれません。
そのように苦手克服を目指して頑張り過ぎる育ち方を「過剰訓練タイプ」と言われたりします。
親御さんや学校の先生が「やればできる」とお子さんを励まし、子どものレベルを理解しないで「やればできるのでは?」などと捉えていると、子どもにストレスを与えてしまう可能性もあります。
知的障害があることがわかっていても、「塾に行かせて勉強をさせていれば、いずれ平均的な知的機能になるのでは」と期待する親御さんもおりますが、それは過剰な期待です。
知的機能が大きく変化することは考えにくいのです。
知的障害の子は、ゆっくりですが、その子のペースで色々なことを習得していきます。
そのペースを理解すること、見極めることが大切です。
子供を焦らせるのではなく、ただ待っているのでもなく、その子のペースに合わせて教えていく。
このことは、知的障害や発達障害のお子さんに限ったことではなく、どのお子さんでも同じです。
一人ひとりの能力や特性を見極め、一人ひとりの成長発達に合わせて教えていくのです。
定型発達のお子さんと、知的障害・発達障害のお子さんとの違いは、指導の最終目標地点です。
定型発達のお子さんは、10年〜15年でショパンやベートーヴェンなど上級レベルの曲が弾けるようになることが指導目標ですが、知的障害や発達障害のお子さんの場合には、お子さんの能力によって様々です。
知的障害や発達障害は、自然経過の中で悪化はしないとのことです。
特性は悪化はしないが、情緒が乱れることはあるとのことです。
情緒が乱れるのは、基本的二次障害とのことです。
知的障害や発達障害の対応の基本は、二次障害を予防することです。
その為には、早期発見・早期支援が大切とのことです。
子供が安心して過ごすことができれば、感情や情緒は乱れないとのことです。
私の教室にお越し頂いている知的障害・発達障害のお子さんが受けている養育と言いますか支援は、二次障害を予防する為のプログラムにはなっていないように思うのですが、どうなのでしょう?
発達を促すことを目的にした養育プログラムを行っているような気がするのです。
昨日レッスンにお越しになられた小学1年生の発達障害のお子さんは、情緒障害で、自分の思う通りにならないと自傷他害行為が始まるのですが、私は音楽療法を行っているわけではないので、基本的に私に対して暴力行為をした場合にはレッスンを終了します。
音楽療法であれば、セラピーが目的なので本人の好きなようにさせますが、ピアノのレッスンはセラピーではなく教育なので指導者の指示を聞くことができなければレッスンは成立しません。
ピアノを教えて上手く弾けるようにすることで報酬を頂くのはなんのためらいもないのですが、一生懸命に教えても弾けるようにならなかったり成長が見られない場合は、なんのために報酬を頂くのだろうか?と考えてしまいます。
結城美帆子ピアノ教室は、障害の有無に関わらず音楽的な感性と技術の成長と共に人間としての成長を望まれる方にレッスンを行っております。