ピアノの指導を通して、これからの時代をたくましく生きていける人間を育てたいと思います。
その為に、コンクールを活用します。
コンクールは、これからの時代をたくましく生きていく為に必要な地頭力を育み強い心とレジリエンスを養うことができます。
それこそが、ピアノレッスンの価値ではないかと思います。
結果はどうあれ挑戦することが強い心と生きる力を育てることになるのです。
ピティナピアノコンペティションは、来年から55歳以上のグランミューズシニア部門ができます。
子供だけでなく、大人も参加して欲しいと願っております。
今までは、40歳までと40歳以上までしかなかったのですが、来年からは55歳以上の部門ができたので、大人の生徒さんもどんどんチャレンジして欲しいと思います。
死ぬまでチャレンジ精神を持ち続けて欲しいと思います。
目標に向かって頑張っている人の姿は、とっても素敵だと思いませんか。
亡き栗本尊子先生は、60歳を過ぎて日本歌曲を勉強し始め、70歳を過ぎてリサイタルを始められ、80歳を過ぎて初めてCDをお出しになられました。
私は、栗本尊子先生の日本歌曲を聴くことがなかったら、日本歌曲を本気で勉強する気にはならなかったと思います。
東敦子先生の日本歌曲は綺麗と思いましたが、感動はなかったのです。
栗本尊子先生の日本歌曲は、日本語の日本歌曲だったのです。
素人にはわからないと思いますが、ベルカント唱法で日本歌曲を歌うのは、イタリア語よりも軟口蓋を高く保たなければ日本語に聞こえないのですごく難しいのです。
栗本尊子先生の日本歌曲は、とても美しい日本語でした。
東敦子先生の日本歌曲は、ローマ字の日本語のように聞こえたのです。
音楽って、とっても深いのです。
ピアノを学ぶことって、すごく奥深いことなのです。
だから、面白くてやめられないのです。
ピアノを学ぶということは、音楽を学ぶことです。
音楽は「真・善・美」を深く追究することなのです。
音楽を学ぶのに、「これでいい」ということはないのです。
真を求めて、善を求めて、美を求めて、止むことはないのです。
究極には、音楽に浸っていると心が浄化され、仏教で言うならば「空」であり「無」になれるのです。
音楽は、人間の心を浄化してくれます。
音楽は、心を「空」にしてくれ「無」にしてくれ、心の不安を浄化してくれます。
人間は言語を得たことで死の恐怖も得てしまいましたが、音楽は死の恐怖も浄化してくれるでしょう。
残りの人生は、音楽を深く学びたい方にピアノを教えたいと思っております。
人間と動物の違いは、言語です。
言語は、心です。
精神分析では、言語活動と心的活動などと言ったりします。
人間は、言語と心があるのです。
60歳で車の運転免許をとった知り合いもおります。
70歳を過ぎてソシアルダンスを始めた知り合いもおります。
ブルグミュラーコンクールは、何歳から習い始めてもチャレンジできます。
チャレンジを続けて欲しいと願っております。
ピティナは、連弾部門や二重奏部門もあります。
絵を描いている人であれば、二科展に出したいと思うと思いますし、チャレンジして何らかの評価を受けることが励みとなり次への意欲へと繋がっていくのではないでしょうか。
チャレンジ精神が旺盛な人は、元気で長生きをしていると思います。
104歳でお亡くなりになられた日野原重明先生も、色々なことにチャレンジしていた方です。
ピアノを楽しんで健康で長生きしようじゃありませんか。