私が出来ること。結城美帆子

世の中には、色々な人がおります。

考えも様々で、価値観も様々です。

当教室にも、色々な人からの問い合わせが有り、色々な人からの体験レッスンのお申し込みが有ります。

そして、色々な生徒さんがおりますが、わたくし結城美帆子は、どのような生徒さんであれ、楽譜を正しく読みピアノの正しい弾き方を教えることと、精神分析的心理療法しか出来ません。

私はラカンの精神分析を学びラカン派の精神分析を受けておりますので、ロジャーズ派のカウンセラーのように、共感的態度や共感を強いる一般的なカウンセリングは出来ません。

人間それぞれですから、相手の心の痛みがわかるということはできないと思うのです。

もし、私が、どなたかから「あなたのお辛い気持ちわかります」なんて言われたら「何がわかるの」と思います。

相手の心の痛みに想いを馳せることは大切だと思いますよ。

でも、想いを馳せることと、わかるということは違います。

人間は、自分自身が生きていかなければならないのです。

人間は、自分自身の人生を自分で生きていかなければならないのです。

子育ての最終目的とは、子供が自分で稼いで生きていくことができるように礎を築いてあげることではないでしょうか。

親は、子供が幸せな人生を送れるようにと一生懸命に教育しているのではないでしょうか。

高校や大学に行かせるのも、少しでも良い学校に合格できるように学習塾の通わせたり、子供の幸せを考えてのことと思います。

私がピアノを習っていた頃は、まだ一部の人しか習う人がおりませんでしたが、ピアノの先生になれば、自宅で生活の糧を得られるからという親心で習っていた人が多かったと思います。

私は、高校から普通科ではなく音楽科を受験しましたし、小学生の時から受験したい高校のピアノの先生にレッスンを受けておりましたので、周りに趣味の人はおりませんでした。

ピアノを弾くのが何よりも好きだったので、音楽の高校に行きたいと思っておりましたし、ピアノの先生になりたいとも思ってました。

ところが、ギッチョンチョン、好きピアノを弾いているのと、専門的なピアノの勉強は、全く違っており、そこから人生の色々なことを考えるようになりました。

音楽の勉強が嫌になり、転校したいとも思いましたが、色々な人に反対され、最終的に当時レッスンを受けていた世界でオペラ歌手としてご活躍されていた東敦子先生に「とりあえず今の高校を卒業しなさい」とアドバイスを頂き我慢しました。

でも、教えるきっかけになったのも、東敦子先生に「お弟子さんとったら、教えるとあなた自身の勉強にもなるから」と言われて、ピアノと声楽を教え始めました。

音楽大学の一般教養で心理学や哲学の授業を受けているうちに、心理学や哲学をもっと深く勉強したくなり、ラカンの精神分析にたどり着き、自ら精神分析経験し、現在の私があります。

もし、東敦子先生に出会うことがなかったら、ピアノを教えるということはなかったと思うので、生徒の皆さんにお会いすることもなかったと思いますし、精神分析を経験しなかったら、障害者にピアノを教えることはなかったと思うので、これまた皆さんにお会いすることもなかったと思います。

東敦子先生と向井雅明先生のお二人に出会うことがなかったら、今の私はなかったのです。

出会いって大切ですね。

今は、この仕事を天職と思っております。