私が介護の仕事をしていた30年前は支援という言葉はなかったのですが。結城美帆子

祖母と母の介護をするであろうと思って介護の勉強をするために、介護の仕事をしていたことがあります。

30年前になります。

身体障害者施設と特別養護老人ホームで介護の仕事をさせて頂き勉強させて頂きました。

あの頃は、生活指導員という肩書きの人と介護職の肩書きの人がおりましたが、支援という言葉は誰も使っておりませんでした。

職員は、生活の糧を得るために介護の仕事をさせて頂いているという認識だったと思います。

今のように、「介護をしてやっている」とか「支援している」なんていう認識ではなかったと思います。

私が勤めていた施設は、離婚して子育てをしながら働いている職員が多かったのですが、ある職員が「手に職もない女が一人で子供を育てていける仕事って、こんな仕事しかないよ」と言っておりました。

不満はあっても、クビになったら食べていけなくなりますから、生活の糧を得るために黙って一生懸命に働いていたと思います。

昔は、看護婦の仕事も、家の家計を助けるために看護婦になった人が多かったようで、辛くても我慢して頑張ったと聞きました。

今は、介護職も看護職も離職が多いと聞きます。

自分の生活のためだけに働いている人が多くなったからではないでしょうか。

私の知り合いに、日赤の看護学校の一期生と警察病院の総婦長をしていた人がおりますが、彼女たちは採血を失敗したり静脈注射を失敗したりするようなことはありませんでしたが、最近のナースは採血や静脈注射が下手くそな人が多いです。

福祉の仕事をしている人たちは、やたらに「支援」という言葉を使いますが、支援てなんなのでしょうか?

私も母を介護している時、退院支援とか、生活支援とか、支援という言葉をたくさん言われましたが、こちらが望んでいた支援は一つも受けられませんでした。

医療も介護も仕事で、生活の糧を得るために仕事をしているだけなのです。

祖母や母の介護をしていて、一番して欲しかった支援はお金です。

精神的なメンタルの支援でもなければ、休息の支援でもなければ、医療介護の相談の支援でもありませんでした。

介護は、いつまで続くかわからないのです。

入院すれば入院費がかかりますし、デイサービスなど福祉施設を利用すれば介護費がかかりますし、オムツ代もかかります。

子育てにかかる費用は、計画を立てることができますが、介護はいつまで続くかわからないので計画を立てることができないのです。

支出を抑えてすぐに死なれたら、「もっとやってやれば良かった」と、後悔するかもしれません。

母は、「人様に迷惑をかけたくない」というのが心情で、支援は受けなくないと言っておりましたので、車椅子の生活になっても要介護5になってソーシャルワーカーさんに身体障害者手帳を申請するとオムツ代や介護タクシー代などに補助金が出ると言われてのですが、母の気持ちを汲み取り、最期まで身体障害者手帳の申請は致しませんでしたので、母にかかる毎月の費用は30万円〜50万円かかっておりました。

30万円〜50万円出せば、阿川佐和子さんのお父様が入られていた施設でも入所可能でしたが、私は施設で働いた経験があるので、施設がどういうところかどのような介護をされるかもわかっておりましたので、愛する母を施設に入れることはできませんでしたので、最期まで自宅で私一人で介護をして看取りました。

メンタル的には、心ない「支援」という言葉を聞くのが一番辛かったです。

ケアマネージャーも合わなくて何にも変えましたが、最後に選んだケアマネージャーの鈴木さんは依頼者である私の気持ちをわかってくださったのか、やるべきことを淡々をこなしてくださいましたし、支援という言葉を一度もおっしゃいませんでした。

筑波大学病院のソーシャルワーカーで総括をしている岩田さんも、一度も支援という言葉をおっしゃいませんでした。

どの分野にも、仕事ができる人はいるものです。

介護は、仕事ができる人に出会わないと、介護をする人も介護を受ける人も共倒れになる危険があります。

介護をする人が介護を受ける人を殺してしまう痛ましい事件が起きるのは、自分の経験から、ケアマネージャーや地域包括センターの職員の心ない言葉が引き金になっているように思います。

介護って、経験して見ないとわからないことがたくさんあるのです。

介護の知識があっても、人間の気持ちをわかることはできないのです。

精神分析家は、無意識から人間の感情を感じることを一定期間訓練を受けますが、その為にまず自分自身を知る為に自分の心の問題を解決する為に自ら分析を受けます。

自分の心の問題を解決しておかないと心をニュートラルな状態に保つことができないのです。

心をいつもニュートラルな状態に保つことができないと、他者の感情を感じることができないのです。