私がオンラインレッスンをやめた理由

私は、ピアノという楽器を使って、音楽を教えたいと、あらためて思い直したからです。

ピアノの弾き方を教え、ピアノの演奏の仕方を教えるのが私の仕事です。

ピアノを学ぶということは、音楽を学ぶということです。

音楽は、心です。

ピアノは、テクニックも必要ですが、テクニックだけでは作曲家の想いを組み表現することは出来ません。

ピアノは、作曲家の想いを想像することも必要なので、想像力も必要なのです。

想像力は目に見えませんから、当然のことながら画像にも映りません。

心は、画像に映りません。

心は、空間を共有することで感じられることではないかと思うのです。

なぜなら、作曲家が全ての想いを楽譜に書き表すことができるのであれば、画像を通してのレッスンも可能かと思いますが、表現したい全てを書き表せることではないからです。

楽譜に全音符が書いてあるからといって、全ての全音符の長さを同じ長さで弾くわけではありませんし、作曲家も望んではいないです。

途中の全音符と、曲の最後の全音符では、当然最後の全音符は長めに弾きます。

それが、心ある人間がピアノを演奏するということです。

わたしはAIはよくわかりませんが、AIは、まだ人間の心を表現するのは難しいと聞いております。

わたしの恩師、亡き東敦子先生の、上野の文化会館でのオペラアリアのリサイタルを聴いたときのことです。

アルジェリオ・クワドリ指揮でNHK交響楽団でした。

一曲目は、ベリーニのオペラ「ノルマ」からカスタデイーバだったのですが、オケが後からついてくるように聴こえたのです。

全ての曲が同じように感じたのです。

レコードができたので、レコードも何回も繰り返し聴いたのですが、同じだったのです。

けっこう後になって、指揮者のどなたか忘れましたが、こういうことだったのかとわかったのです。

まさに、心だったのです。

楽譜上は、一拍目は一拍目ですから、同時に音が出るはずですが、主役が微妙に先に出ることで、美しい響きがホールに響くのです。

ピアノの演奏でも同じことが言えます。

メロディーと伴奏は、同じではないです。

先週の渡部由記子先生のレッスンで、「左手の後に右手を上げるの、わざとらしくてもダメなの」と言われましたが、まさにこのことです。

このような心を表現する微妙な違いは、画像では伝えられません。

それこそ息づかいなのです。

歌は、息が先に出るので、けして音符と同時ではありません。

息を吸うタイミング、声を出すタイミング、先生からは「はやい、おそい、考えて、考えちゃダメ、感覚で覚えるしかないのよ」と言われ、山田耕筰先生の「赤とんぼ」のレッスンは、約60分のレッスンでしたが「ゆうやけ」のところだけで終わってしまい、最後までレッスンを受けるのに週一回のレッスンで一年を要しました。

でも、赤とんぼが歌えるようになってからは、色々な曲が歌えるようになりましたけどね。

辛かったですよ。

なんども途中でやめようとも思いましたけど、励ましてくれた先生もいたのでやり抜くことができたのです。

楽譜の通りに弾くのは、最低のことなのです。

楽譜の通りに弾くだけで良いのであれば、オンラインレッスンもできますが、コンペティションで高い点数が取れる音楽的な演奏の指導は、対面でのレッスンじゃないと私は難しいです。