社会の中で生きていく事とは。結城美帆子

社会人としての義務を果たし、必要に応じて自分に与えられた権利を行使して、自分の責任において生きて行くと言う事なのではないかと思います。

あおり運転にしても、モンスターペアレントにしても、クレイマーにしても、権利ばかりを主張している人たちのように思えます。

みんな同じ人間です。

お互いに同じ人間です。

日常的に無意識に不平不満を抱えていると、モンスターやクレイマーになってしまうかも知れませんね。

入管法や水道法も国会で可決されましたから、色々な事が変わるでしょうね。

旧優生保護法のように、間違った法律でしたと、後々言われるかも知れませんが、法律が可決される時は、いつもごちゃごちゃですよね。

人間がやる事ですから、絶対は有りませんし、その時その時必要に応じて法律ができて行き、必要に応じて消えて行くのでしょう。

世の中の流れの中での変化は仕方がないです。

超越した大いなる神がいるとするならば、大いなる神は、人間を面白おかしく見ているかも知れませんね。

闘犬なんて言うのもいて、犬同士を戦わせて面白がっている人間もいまだにおりますが、昔々は、人間同士を戦わせて見世物にしていた時代もあったのです。

自分の愚かさに気づくことって、けっこう難しいです。

自分も含めて、おバカな人間たちの中で生きて行くには、なるべくおバカ同士の争いに巻き込まれないようにする事ではないかと思います。

私もおバカで、相手もおバカだったら、おバカ同士良い解決ができるとは思えません。

あおり運転ですらコミュニケーション不足が原因と言われます。

コミュニケーションて、けっこう難しいと思います。

多くの人は、相手を理解しようとするのではなく、自分を理解してもらいたくて、自分をわかって欲しくて、一生懸命に相手に話します。

承認欲求ですよね。

満たされていない何かがあると、転移現象が起きてしまい、関係がない人に関係がない事まで無意識にぶつけてしまうようです。

回避するためには、関わらないように上手く逃げる事も必要ではないかと思います。

世の中を生きて行くためには、生き上手になる事も必要に思います。

私はどうしても車を自分で運転しなければならなかったので、運転免許を頂いたのですが、教習所の校長先生に、卒業する時「大きな車を運転される事をお勧めします」と言われました。

適性検査の結果から、私の性格上、小さくて便利な車は私には危ないと思われたのでしょうね。

その通りだと思いましたので、なるべくあおられないように、当時は一般的な人があまり乗らなかったベンツの大きいのを蛍光ナンバーにして、ジャーマンシェパード犬を乗せて運転してました。

運転技術は未熟ですから、西武にお買い物に来たのに、駐車場に車を止める事ができなくて、買い物をせずに帰った事もありました。

バックが苦手だったのです。

屋敷は広かったので、前進で入って前進で出られたのですが、他の駐車場はバックができないと入れられなかったのです。

車の運転は大変でした。

実は、自転車もダメなのです。

自転車を運転している時に考え事をすると、集中してしまって、電柱に吸い込まれてしまいぶつかってしまったり、下水に蓋がしてないと下水に落ちてしまったりした事もありました。人間いろいろですからね。

自分に向いていないなと思うものは、なるべく避けるようにしてます。