発達障害についての想い。結城美帆子

自閉症やADHDなど発達障害の子供を育てている親御さんは、ご苦労もあると思います。

先日、ピアノパラリンピック全国大会で、発達障害者の演奏を聴いていて思った事を書きます。

自閉症者には自閉症者の世界観があるように思いました。

一般的な人の世界観とは異なり自閉症者の世界観があるように思いました。

一般的な人が「水」としたら、自閉症者の世界観は「油」のように思いました。

お互いに混ざり合うことは無い。

彼らが社会で生きていくには、なんらかの支援が必要です。

自閉症者に欠けているものは、他者の心を想像する能力(心理学的に言えば心の理論)です。

自分の気持ちを制御する能力。

自分の気持ちを言葉であらわすことが苦手だから、つねったり、叩いたりして自分の気持ちを相手に伝えようとするのです。

おそらく、自閉症スペクトラムの人たちは、一般的な人に対して「なんで私の気持ちをわかってくれないのだろう」と思っているのではないかと思います。

おそらく、自閉症スペクトラムの人どうしは、分かり合えているのかもしれませんね。

似た者夫婦という言葉もありますからね。

ピアノパラリンピック全国大会で障害者の演奏を聴いているうちに、彼らの世界へ引き込まれていくような感じで、彼らの世界観が垣間見られたような気がしたのです。

ゆえに、彼らに講評をすることは無意味のように思えたのです。

一般的な人に対してのピアノの指導は、楽譜から作曲家の想いをくみ取り楽譜に忠実に演奏する事を要求しますが、彼らはそもそも見え方が違うように思うので、私が思う忠実とは異なるのです。

ゆえに、一般的な人が創り出す音楽と、自閉症スペクトラムの人が創り出す音楽は違うので、基準が違いますから講評も、当然批評もできないのです。

先日のピアノパラリンピック全国大会で講評委員を務めさせて頂いたのですが、最初は一般的な人間として障害者の演奏を聴いていたので一般的な見方で講評を書いていたのですが、途中から彼らの世界に引き込まれてからは、講評ができなくなってしまったのです。

仕草や歩き方、話をすれば自閉症スペクトラムとわかりますが、もし幕を下ろして弾いている人が自閉症スペクトラムの人か一般的な人かわからない状態で演奏を聴いたら、自閉症スペクトラムが演奏したのか、一般的な人が演奏をしたのか、ピアノの先生にはわかるかもしれませんが、一般的な人にはわからないと思います。

ピアノパラリンピック全国大会に出場した方々は、自分の気持ちが抑えられなくなるような時、ピアノが抑止力になる事でしょう。

私が懸念するのは、支援の対象はではならない軽度の発達障害の方々です。

社会的事件を起こしている人たちの中には、広汎性発達障害の方が見受けられます。

発達障害の方が、加害者にも被害者にもならない優しい社会になる事を願っております。

音楽は、人間の心を優しくしてくれます。

音楽は、人間の心を取り戻してくれます。

この世から争いを無くし、人と人が殺し合う戦争を無くしたい。

音楽の持つ力で、人々を幸せに導きたい。

私の願いです。