発達障害も認知症も脳の障害なので、ピアノを弾く時に現れる症状は、発達障害も認知症も同じです。
発達障害と認知症の違いは、発達障害はもともと欠如しているけど、認知症はだんだん衰えていくということです。
発達障害と認知症の共通していることは、両方とも、自分では自覚ができないということです。
自分で自覚ができれば、自分で予防改善ができますが、残念ながら発達障害も認知症も自分では自覚ができないようです。
でも、わからないことが幸せということもあります。
人間は、いつか必ず死ぬということはわかっていても、はっきり「いつ」ということがわからないから生きていられるということもあると思います。
認知症を患った人は、自分が認知症ぼけたとは思わないから、本人は周りが想像するほど辛くはないように思います。
私は、脳血管性の認知症を患った祖父母と母を自宅で介護しましたが、認知症を患ったから辛いというようには思えませんでした。
私が精神分析学を学び、精神分析学観点から観察していたからかもしれませんが、人間てそういうものではないでしょうか?
本当に辛いことや辛かった思い出などは、認知症になると忘れるようです。
忘れられる幸せということもあるのではないでしょうか。
精神分析学では、人間の言動には意味があると考えます。
精神分析学観点から、発達障害の研究もされております。
私は、発達障害も認知症も、大変とも不幸とも思わないのです。
発達障害も認知症も、その人が生きる為に必要なことなのではないかと思うのです。
生きる為に自らがした一つの選択だったのではないかと思うのです。
生きていくというのは、大変なことです。
辛い経験もたくさんします。
忘れたいこともたくさん経験します。
自分一人の心にだけ止めて、あの世まで持っていかなければならないこともあります。
私は戦後生まれですが、戦争を経験された方々は、人には言えないことをたくさんたくさん抱えているのではないかと思います。
祖父母と母を介護していて思ったことです。
認知症の人が言っていることにも、すべて意味があるのです。
母が脳梗塞を発症し認知症を患ったとき、穏やかな最期を迎えさせたかったので、精神分析療法を試しました。
精神分析療法は、心の葛藤を昇華させ穏やかにすることが可能な心理療法です。
発達障害の子供も、意味があって発達障害で産まれてきたように思うのです。
自閉症スペクトラムの人は、コミニケーションが苦手と言われますが、人と話すと自分が飲み込まれてしまう恐怖を感じているとある本に書いてありました。
また別の本には、発達障害の人は、母親が妊娠中に血糖が高くなった人や帝王切開でブドウ糖を点滴した場合、子供は低血糖症になっていたかもしれないと書いてあり、低血糖が脳に影響したのではないかという内容でした。
血糖値の乱高下は、最近問題にされておりますが、出産のときに血糖値の乱高下を経験するとどうなるのでしょうか?
血糖値の乱高下は、血管を傷つけ動脈硬化を進めると言われております。
発達障害に良い食事という著書もありますが、生活習慣病を予防する食事と同じです。
知らず知らずに体に悪いものを食べさせていないかチェックしましょう。
白いご飯は❌、小麦も❌、牛乳も❌、スナック菓子は危険な油が使われているので❌、体は脳も食べたもので出来ているのです。