途中でピアノをやめてしまうことなく、生涯に渡りピアノを続けて欲しいと願って、日々レッスンを行っております。
これまでピアノを教えてきて、幼児〜ご結婚するまでお教室に通いレッスンを続けてくださった生徒さんが2名おります。
お二人とも結婚式にご招待くださいました。
受験の時以外は毎週日曜日にレッスンにお越しになられておりました。
就職してから、職場で素敵な方(ご結婚された方)との出会いがあってからは、レッスンを休まれることもありましたが、ピアノよりも幸せなことを見つけられたことを嬉しく思い祝福の気持ちでいっぱいでした。
ご結婚を機に遠くへ行かれましたので、私とのピアノのレッスンは終了となりました。
お二人とも、音大受験を考えたこともあったのですが、東京藝術大学で教授をしていた私の恩師に一度レッスンをお願いし、教授のアドバイスで音大受験をやめ趣味で続けることにしたのです。
音楽の道で食べて行くのは大変なことですから。
たとえ東京藝術大学を卒業しても、演奏だけで食べていけるのは、ほんの一握りです。
東京藝術大学を卒業すれば、地方の音楽高校や音楽大学の講師になれる可能性はありますが、そこの学校で自分がやりたいレッスンが出来るとは限りません。
大手楽器店の音楽教室の講師に雇われたとしても、自分が理想とするレッスンを行うのは難しいです。
そこで個人開業となるのですが、自分が教えたいと思う生徒さんにきてもらうようにするのも大変です。
伝えることって難しいですからね。
私は、コンクールの指導も行いますが、点取り虫にはなってほしくないのです。
音楽には絶対はありませんから、コンクールの成績が全てではないのです。
昨日終了した今年のピティナピアノコンペティション全国大会の審査員の顔ぶれを拝見すると、全国大会でさえも個人で開業しているピアノの先生が審査員になっています。
上級の審査員は音楽大学の教授やピアノ演奏で生計を立てているピアニストが行っているようですが、皆さんお知り合いの関係でしょう。
ピティナの正会員の方々ですから当然ですが、外部の方に審査をお願いしても良いのではないかと思います。
私がお世話になった音楽大学の教授はピティナの会員にはなっていませんし、現在お世話になっている北村智恵先生もピティナの会員ではありません。
ピアノは楽しむもので競争するものではありません。
ピアノを学ぶことは、音楽をよりよく、より深く理解すること、楽譜を読むことを知り、音の美しさを感じ取り、弾く楽しみがわかり、音楽の良し悪しを判断し、音楽について語り合う喜びを持つこと、そしてより高い芸術の世界を理解することにより、人格に感受性と高尚さを少しでも加え、さらに豊かな交流をお互いの生活にもたらすことです。
即ち、音楽は人間の心を養い人間として豊かに生きるために必要なものなのです。
他者の心の傷みを想像することができない人ばかりになったら、この社会はどうなるでしょう!
人を傷つけても、それこそ殺人を犯しても、なんとも思わない人が社会に溢れたらどうなるでしょう!
刑事責任能力の有無を判断するのは裁判官で、能力無しと判断されれば精神病院に措置入院になりますが、命は一つですから殺された人はたまらないと思います。
被害者も加害者も両方不幸です。
不幸な人を生み出さない社会を作るためにも芸術は必要なのです。
音楽は芸術です。
ピアノを学び、芸樹に触れ、人としての感性を育てましょう。
そして、誰もが尊厳を持って自分らしく生きられる社会を皆んなで作りましょう!