狐と狸の化かし合い

母が脳梗塞を発症して筑波大学附属病院に入院していた時のことです。

リハビリ病院に転院する時、担当のソーシャルワーカーの方が、転院先の病院やケアタクシーなどの手配をしてくださいました。

ソーシャルワーカーは、ご紹介して頂き統括をしているお立場の方にお願い申し上げ、お引き受け下さいました。

仕事ぶりは、必要なことをテキパキこなされて、とても助かりました。

仕事ができる方というのは、僻みのようなものをかう場合もある思います。

転院する時、ケアタクシーの方が、社長さんだったのですが、タクシーの中で、私が「ソーシャルワーカーの〇〇さんにお世話になりまして、、、」なんて話をしましたら、社長さんが「〇〇さんはキツネだからな」と、おっしゃいました。

リハビリ病院から、再び筑波大学附属病院に転院入院した時、再び統括をされているソーシャルワーカーの〇〇さんに担当をお願いしましたので、ケアタクシーの社長さんが「〇〇さんのことをキツネと言ってましたよ」と、申しましたら、ソーシャルワーカーの〇〇さんは「タヌキおやじ」と言ってました。

キツネとタヌキの化かし合いを思いました。

お互いに利益を得る為に利用している関係ということなのでしょうね。

患者は、彼らの利益を生んでいるのです。

まあ、仕方がないことなのかもしれませんが、嫌ですね。

私は、褒められることが大嫌いなのですが、世の中には、褒められたことを鵜呑みにしてしまう人もいるようですね。

知り合いのリサイタルを聴きに行くことがありますが、本人の前では「良かったです」とか「素晴らしい演奏だったわ」なんて言ってますが、駅まで歩いて行く会話は「毎回同じ曲目でよくやるわよね」「リズムが悪いわよね」とか悪口ばかりです。

音楽って、「これで良い」と言うことはなく、生涯勉強なのです。

音楽は、生涯勉強だから価値があり面白いのです。

歳をとればテクニック的なことは衰えますが、音楽的な味は深くなります。

若いピアニストの演奏は、テクニックの競演みたいな面白さがありますが、熟年のピアニストの演奏は、人間を味わえる楽しみがあります。

ピアノを学ぶ面白さは、学ぶことが泉が湧き出でるごとく次から次へと出てくるからなのです。

終わりがないから良いのです。

私は、キツネにもタヌキにもなりたくないです。

利益を得る為には、キツネやタヌキにならなければならないのかもしれませんが、私は性格上できないですね。

本音で言ってしまうから、失敗することもありますし、お辞めになられてしまう生徒さんもおりますが、辞められたくないからと、生徒と親御さんが気持ち良くレッスンに通ってもらうことだけを考えて、レッスン料を払ってもらえるようにと、本音を言わずにおべっかを使ってレッスンするのは、私はできない。

以前、筑波大学の学生でしたが、弾き方をお教えしたら、突然弾く手を止めてしまって「レッスン生徒しては、気持ち良くピアノを弾く為にレッスン料を支払っているんです」と言われました。

ピアノの先生の仕事とは、生徒を気持ち良くさせることなのでしょうか?

私は、ピアノの先生の仕事とは、ピアノがより上手く弾けるようにピアノの弾き方を教えることと認識をしておりますので、私の指導に従って頂けない方の場合は、残念ながらレッスンはできません。

間違った音を弾いていたから「そこの音は間違っているので直しましょう」と申し上げましたら、「私、間違ってません」とおっしゃる生徒さんもおりましたし、間違った音を指摘しましたら、手を鍵盤から降ろして黙り込んでしまう生徒さんもおりましたが、これではレッスンにはなりません。