無性に生の演奏が聴きたい。結城美帆子

響きの良いホールで生の演奏が聴きたい。どうも介護うつになりかけているように思います。困った。なんでもいいから生の演奏を聴きたい。そしたら、すっきりしそう。演奏家は、見えないところで身も心も血の出るような努力をしておりますが、ステージでは何もしていない努力なんてしていない好きで演奏を楽しんでいるだけですみたいな顔をして演奏をしております。だから、感動を生むのです。見えない努力の結果だから、見えないものの価値がわからない凡人にはわからないと思いますが。他人が、どれだけ努力しているかなんてわからないでしょう。努力をしている人って、努力をしていると言わない。なぜなら、当たり前のことだからです。当たり前のことができない人が多いですけれどね。努力が必要なのは、演奏や勉強だけではなく、生きて行くのも相当な努力が必要です。老人介護施設でも時々お仕事をさせていただいておりますが、死に様は生き様です。自分の母を介護していても思います。母は「ありがとう」とは言いますが、「ありがとうございます」とは言いません。私が敬愛する亡き東敦子先生は「ございます」とおっしゃいました。子供を産めば、母になれますが、努力をしなければ、世界で活躍するオペラ歌手にはなれません。私が母の介護をしているのは、敬愛する亡き東敦子先生も、あんなにお忙しい方にもかかわらず介護をされていたからです。「がんばらない介護」などと言う人がおりますが、介護は頑張らないとできません。仕事としての介護は、仕事ですか報酬がありますので報われますが、当たり前ですが親の介護は報酬はありませんし、向かうは死あるのみですから報われません。相談すらする相手さえいないのが現状です。医師も介護の事業所の人もケアマネージャーも当たり前ですけど皆お金で動いておりますので相談料が保険点数にないため落ち着いた相談はできません。医師に相談しようものなら「患者さんが待っておりますので」と言われてしまいます。「介護は一人で頑張らない」と言われますが、相談するところがないのです。デイケアでさえ2名以上の保証人がいないとお願いできないのです。かと言って、保証会社を頼むのも100万円以上のお金がかかるのです。ピアノのコンクールも高額なレッスン料を支払える経済力がないと全国大会まで進むのは無理のようですし、お金がない人は野垂れ死にするしかないようですし、こんなにお金お金の社会いいのでしょうか?ピアノの才能があるのに、グランドピアノを買ってもらえなかったり、コンクールで上位者をだしている先生の高額なレッスン料を支払えないために才能を開花させることができないで終わってしまう人もおります。幼児でも一回3万円のレッスン料を支払ってピアノのレッスンを受けている人も、一ヶ月五千円のレッスン料を支払ってレッスンを受けている人も、同じにピティナピアノコンペティションを受けますが、一回3万円のレッスン料を支払っている人と一ヶ月五千円のレッスンを支払っている人とでは、コンペティションにかける意気込みは違うでしょうね。安ければ良いとか無料だから良いと言うことではないのでしょうね。お互いの意欲の向上のための料金設定があるのでしょうね。母を介護していて一番辛いのは、一生懸命作った食事を残された時なのです。食べ物を残すと言うことは、命を捨てるということです。食べ物をいただくと言うことは、命をいただくと言うことなのに。介護が大変だとか辛いと言うことはないのですが、食べ物に感謝ができない母が嫌なのです。大切な税金を使わせていただいているのに、薬を飲みたくないと言ったりもするのですが、これも嫌なのです。人間が一つの薬が認可されて飲めるようになるまでにどれだけの動物たちが犠牲になってくれたと思いますか?自分が生きられているということは、どれだけの犠牲の上に今自分が生きていることができているか考えれば、感謝しかないと思うのですが。私は、親に教えられたことよりも、社会に出てから、色々な人に色々なことを学ばせていただいたおかげで、今の自分があります。