母の介護を始めてからは、努力努力の日々でした。結城美帆子

去年一昨年の春から、今年1月3日に母が亡くなるまで、努力努力の日々でした。生徒の皆様にも努力を強要していたところもあったのではないかと反省をしております。どんなに努力をしても母を救うことはできませんでした。どんなに努力をしても母を苦しみから救うことはできませんでした。最後の最後、母は私に去勢を与えてこの世を立ち去りました。これぞ、母の愛なのではないかと思いました。私の家は、女系家族で、父はお婿さんで弱々し人だと思っておりました。子供の頃からずっと「男には負けたくない。男なんかに負けてたまるものか。男の付属物になんかになってたまるものか。」と思って努力に努力をしてきたように思います。精神分析的に言うならば「ペニス羨望」でしょうか。女の分際でシェパード犬を3頭も飼育していたのもその表れだったと思います。結婚をしても旦那様から1円も生活費を頂くつもりもなく、頂こうとも思いませんでした。母は私に好きなことをやらせてくれました。音楽は、その一つでした。ピアノも歌も好きだからやっていたのです。母から練習を強要されたこともありません。ピアノを弾くことが好きだからピアノを弾きたいから弾いていただけで、歌うのが好きで歌いたいから歌っていただけでした。ところが、母の介護は努力無しにはできませんでした。母をつくばで介護するようになってまもなく、私自身が亜急性甲状腺炎を発症してしまい、死ぬか生きるかの瀬戸際での介護でしたので、本当にしんどかったです。母の突然の入院のため、私が自分の診察の予約日に受診できなくなることもしょっちゅうありました。亜急性甲状腺炎の症状って辛いですよ。最初は、風邪のような症状で、長引く風邪くらいにしか思っていなかったのですが、39度前後の熱がずっと下がらないのです。脈拍も150位が維持されて下がりませんでした。そのうち、しゃがんだら立ち上がれなくなってしまって、ピアノの椅子の高さを調整するのにしゃがんだら立ち上がれなくなって困ったことがありました。足が上がらないのです。3ヶ月位経った時に「私、死ぬのかな」と本当に思いました。実は、その頃、岡部先生のところに定期健診に行くのを3年くらいやめていて、その時に発症してしまったのです。今は、さぼらず毎月受診して、勧められたことをやってます。今月から、体幹トレーニングを受けております。クリニック内でやっているので、何か体調に変化があっても安心です。食事も事務長で管理栄養士の山下さんに定期的に指導を受けております。今のところはとても快調です。今は、無理はしないことにしておりますので、目覚ましも使いません。目覚ましを使わなくても不思議と6時に目が覚めます。でも、母を介護しているときはごはんを炊く時間を考えて4時に起きておりましたが、目覚ましを使わなくても4時に起きてました。仕事で朝早く家を出なければならない時など目覚ましを使うときがありますが、目覚ましで起きると血圧が上がります。私は、健康を維持するために、朝と夜に毎日健康を測ってます。良いパフォーマンスを行うためには、なんでも気軽に相談できるかかりつけ医がいると良いと思います。明日から新年度ですね。そして、明日は復活祭です。皆様のピアノライフより楽しくできるように、楽しく効果的なレッスンをさせて頂きたいと思いますので、よろしくお願い致します。