私は一人娘なので、一人で母を介護しました。
老人ホームにお願いするつもりは毛頭なかったのですが、もしかしたら私が先に死ぬこともあるかもしれないと思い、もし私に万が一のことがあった場合に備えて、母の成年後見人も選任しておりました。
認知症の介護は、24時間休み無く続きますので、生半可な努力でなんとかなるものではありません。
仕事中はデイサービスにお願いしておりましたが、私が手を上げてしまったら母は施設に入るしかなくなるので、娘として愛する母を施設に入れることはしたくなかったので、命をかけて頑張りました。
介護をしている時は、まともな睡眠時間なんて取れませんから、血圧も上がってしまい、血圧を下げる薬や睡眠薬を送って頂いてしのいでおりました。
今は、元の生活に戻りましたので、血圧も安定し、睡眠薬も使っておりませんが、一時はやばいかもしれないと思いました。
介護をしている期間は、思うような指導ができなくて生徒の皆様には過大なご迷惑をおかけしていたと思います。
どんなに努力をしても、母の命を助けることができなかったことに敗北感を感じでおりました。
努力なんて無駄とさえ思うこともありました。
しかし、久しぶりに渡部由記子先生のレッスンを生徒が受けに行き、同行させて頂いて、前向きな感情が湧き出でて来ました。
渡部先生のレッスンを受けに行ってくださった生徒の皆さんと、渡部由記子先生に感謝です。
人間は、人間によって心が救われ生きる力が蘇るのです。
本当に感謝です。
やっとやる気が戻ってきたように思います。
介護うつだったかもしれません。
妥協せず、しっかり指導をさせて頂きます。
ピアノは、練習と言う努力を積み重ねないと上手く弾けるようになりません。
努力を積み重ねることができた人が、ピアノを弾ける喜びと幸せを得ることができます。
ピアノだけではなく、受験勉強でも結果を出している人は、人知れず努力をしていると思います。
母の介護ができたのは、ピアノで努力が身についていたからではないかと思います。
ピアノの練習に努力をしたと言う感じはありませんが、一つのことを50年以上やり続けているわけですから、なんの努力もなかったと言うことはないかもしれませんね。
音楽のレッスンで、自己管理能力が培われたと思います。
なぜなら、私がお世話になった先生は毎回次のレッスンのお約束を頂くワンレッスンだったので、レッスンを休んだら次のレッスンのお約束が頂けませんから、レッスンは絶対に休めないので、日々の体調管理がすごく大事だったのです。
体調管理ができない人は、信用が得られないので、お仕事が頂けないのです。
健康って大事なのです。
本番になるとお腹を壊す人がおりますが、演奏家を目指す人は、メンタルも強くないとダメなのです。
演奏家だけでなく、どんな職業でも、メンタルが弱い人は使いものにならないと思います。
ピアノのレッスンは、社会で生きていく上で必要なことをたくさん学べるのです。