母が亡くなり日に日に悲しみが増します。結城美帆子

「もっと、こうしてあげれば良かった」「もっと、優しくしてあげれば良かった」「もっと、してあげられたことがあったのではないだろうか」一生懸命できることをしたつもりですが、もっとできたんじゃないか、と思う日々です。ただ、生徒の皆様がお越しになってくれて皆様にレッスンをさせていただいている時は、悲しみを忘れらるのです。生徒の皆様に感謝です。もしも、仕事をやめ、介護だけの日々を送っていたら、生きていくのが非常にしんどい状態になっていたのではないかと思います。レッスンをしている時はなんともなく元気でいられるのですが、レッスンが終わると悲しみが襲ってきます。母を苦しめてしまったのではないかと後悔もあるのです。母は致しませんでしたが、胃ろうにしないとデイサービスをはじめ介護施設の利用ができないのです。胃ろうは本人が必要として作るのではなく、介護者や介護施設の都合で作らさせられるのです。私は、最期まで家で介護をするつもりでおりましたので、胃ろうを作るつもりはなかったのですが、一人で歩ける時は、拘束帯を買って持ってきて頂けなければ利用させていただけないと言われたデイサービスもありました。実際問題として、ショートステイやグループホームの夜間の職員が一人というのもどうかと思います。時々、介護施設の職員による入所者への虐待や殺人事件の報道がされますが、今の状態では起こっても不思議ではないと思います。家族以外の介護はビジネスなのです。介護を受ける人が介護職の人の生活の糧になっているのです。介護を受ける人がいなければ、介護職の人の生活は成り立たないのです。介護度が上がったら断られるなんておかしいと思いませんか?4月からは、医療的ケアを必要としている人が入院している療養病院が国の方針で廃止されるのです。死ねと言っているも同じです。お金がない人は、早く死ねと言わんばかりです。自費で海外に移植手術を受けに行く人もいるし、募金を集めて移植手術を受けに行く人もいるのです。医療に格差があるのです。命に格差があるのです。