昨日考えたこと。結城美帆子

今月は、年度末の面談をしております。

昨日、ある方がお話の中で「信用できなくて」とおっしゃっていたのですが、お帰りになられた後、自分のことを考えてみました。

私は、信用するとか、信用しないとかの、概念と言いますか、信用するとか、信用できないとか、普段の生活の中で思ったこととか考えたことがないように思いました。

でも、基本的には、信用しているのではないかと思います。

もし、信用していなければ、救急車で急性期病院に運ばれて、どんな人かもわからない医師の診察を受けることはないです。

信用しているから、診察を受けたのです。

想像ですが、信用できないと言う人は、どこかで裏切られたと思う経験があるのかもしれませんが、信用する責任と言うものもあると思うのです。

もし、運ばれた救急病院で、医療ミスで死んだ場合でも、医療を受けた責任がると思います。

なぜなら、医療を拒む権利が患者にはありますし、信用ができないのであれば医療を拒むこともできるのです。

医療は、絶対では有りませんから、ミスもあるでしょうし、死ぬこともあるでしょう。

患者には、医療を受ける権利も医療を受けない権利も、どちらも自分の責任において選ぶ権利があるのです。

医療だけではなく、世の中には、そのようなことがたくさんあると思います。

私が、信用と言う言葉を使わないと言うか、生活していて私には使う必要がない言葉のようなのですが、私は、全てにおいて、自分の責任で決めているからではないかと思いました。

救急病院は、選ぶことができませんけど、救急病院でやることは同じだからどこでも構わないと岡部先生にも掛谷先生にも言われております。

かかりつけ医は、選ぶことができますから、この先生なら死んでも構わないと思える医師を持っていると良いと思います。

私は、医師だけでなく、ピアノの先生も声楽の先生も、全て自分の責任で選ばせていただき、お世話になっておりますので、お医者様においては、もし何か大変な病気になって死ぬようなことになっても構わないと思います。

一人心から信用できる人ができると、そこから信用の輪が広がると思います。

私自身、人を信用できない時がありましたから。

でも、信用できないのは、自分に原因があると気づいてからは、見え方が変わりました。

それで、今の私がおります。