昨夜テレビドラマで自閉症の医師が主人公のドラマを見て思ったこと。結城美帆子

自閉症を誇張しすぎているのではないでしょうか?医学部に合格し、医師国家試験にも合格したと言う設定だとしたら、知的障がいのあるカナー型自閉症ではなく、知的障がいを伴わないアスペルガー型自閉症のはずです。私は、アスペルガー型自閉症の人たちにもピアノを教えておりますが、アスペルガー型自閉症の人は、数回話をしてみないと、自閉症とわかりません。アスペルガー型自閉症の人は、けっこう医学部に合格しているようです。3月の東京精神分析サークルの研究会で、滋賀大学で教授をされている久保田先生が「医学部に入ってきちゃうのです。ちょっと見ただけでは、自閉症とわかりませんが、話をすると、わかります。」とおっしゃってました。アスペルガー型自閉症者は、どこにでも普通にいると思います。長年の自閉症者にピアノを教えてきて思うのは、彼らは見え方が違うのではないかと思うのです。だから、言葉の意味の捉え方が一般的な人と異なるのではないかと思うのです。彼らは、ストレートな見方や捉え方をするように思います。良く言えば、非常に素直です。アスペルガー型自閉症者の能力を引き出し開花させ、彼らが社会で生きていくためには、彼らを理解できる支援者が必要ではないかと思います。彼らと長く付き合っていると、コミュニケーションてそんなに大切なことなのだろうかと疑問に思うこともあります。けっこう長く精神分析を学んでいるので、他者を観るとき、どうしても精神分析観点から観てしまうのですが、母が入院した病院にもASDが疑われるドクターをお見受けしました。ちまたにもASDのドクターは、けっこういるような気がします。ドクターは、的確な診断と的確な治療ができれば良いと思います。たとえ、コミュニケーション能力があっても、的確な診断と的確な治療ができないドクターは、ごめんですね。ピアノの先生も、コミュニケーション能力があっても、指導力がなかったら良い先生とは言えないと思いませんか?指導力とは、生徒を伸ばすことができる先生、ピアノを弾けるようにさせることができる先生、コンペティションなどで生徒の練習量や力量にあった目標が達成できる先生ではないかと思います。コミュニケーションも大切かもしれませんが、コミュニケーションに神経を使い疲れてしまって、肝心の良いレッスンができなくなっては、元も子もないないと思います。人間オールマイティには出来ませんからね。私は、いつも、どう教えたら、上手に弾けるようになるかを一番に考えて、レッスンをしております。