男女平等は、女性にとって、本当に良いことで、幸せで、生きやすい社会なのだろうか?
平等とは何なのか?
男と女、女と男、若者と老人、LGBT、健常者と障害者、健康な人と病気を持っている人、、、、、
社会には、色々な人たちが、それぞれの幸せを求めて、それぞれに生きている。
正直、私は平等とは何かわからない。
男と女は、どこまで行っても男と女で、性転換手術をしたとしても、男の身体に生まれた人は子宮に精子を受け入れ子供を宿し育てることは、今の医学ではできない。
だから、今のところは、子宮に宿した人間を子宮の中で生かすも殺すも女性次第。
カトリックでは、女性は神父(イタリア語では神父パパと言います)になれませんが、マリア様を大切にしており、「マリアの祈り」というものがある。
プロテスタントは、牧師と言いますが、牧師は女性でも結婚しても牧師になれますし、マリア様は出てきません。
母の従兄弟のおばさんは、結婚して旦那様とプロテスタント教会の牧師をしております。
障害者だけが参加できるパラリンピックがありますが、違和感があります。
実は、ピアノパラリンピックにも違和感を感じております。
障害があっても、一般のコンクールに堂々と参加して評価を受ければ良いのではないかと思うのです。
障害者枠ということが、差別ではないかと思うのです。
男も女も、ジェンダーに関係無くふさわしい人が選ばれることを望みます。
男女平等と言われますが、私は男の看護師がいる病院はできれば行きたくないですし、男の看護師に裸を見られるのも抵抗がありますし、トイレの介助を受けるのも抵抗があります。
何でもかんでも平等が良いということではないと思います。
医師は、男性でも患部しかほとんど目にすることはないと思うので我慢できますが、看護師の仕事はケアですから私は男の看護師は嫌ですね。
選べば良いと考えております。
ピアノを教える上でも、健常者も障害者も関係無いと思うのです。
ただ、ピアノを弾く上で、ある程度の知識は必要なので、ピアノを弾き為のある程度の知識があれば、私は教えます。
平等とは、それぞれの価値観でも違うかもしれませんね。
女性には女性の良さがあり、男性には男性の良さがあります。
障害があっても優れた音楽的能力を持っている人もおります。
ピティナピアノコンペティションで地区予選を通過できるのは、10人中3人なので通過するのは難しいのですが、私の門下生は障害があっても地区予選を通過しております。