差別とは、平等とは。

私の教室には、下は3歳から上は80歳を超えている方、健常者であろう方々、発達障がいの方々、身体障害者手帳をお持ちの方々、色々な方々がレッスンにお越し頂いております。

以前は、健常者であろう方々と障がいがある方がを、同じ舞台に立たせたかったので、一緒に発表会を行っておりましたが、同じに行うと、上に向かわず、下に向いてしまうようでしたので、今年は、ひと家族づつに致しました。

ピアノのパラリンピック全国大会は、障がいがある方しか参加できません。

障がいがない人を排除、差別しているのではないかと思ったりもするのです。

障がい者を支援することで始まったピアノパラリンピックだから、それでいいとは思いますが、私の気持ちは何かスッキリしません。

講評委員として、コメントも書かせて頂いているのですが、褒めることしか書きちゃいけないみたいな暗黙の了解を感じてもおり、複雑な気持ちなのです。

私は、障がいがある人たちも、ピティナピアノコンペティションに参加して欲しいと思います。

そして、自分の本当の立ち位置を見て欲しいと思います。

障がい者を指導している先生も、生徒がコンペティションに参加することで、指導力がわかると思います。

それが、音楽においての平等ではないかと思うのです。

障がいがあるからと言って、障がい者の中だけでべた褒めされているだけで、果たして進歩があるのでしょうか?

障がい者の中にも伸びしろを感じる人がおります。

コンペティション(コンクール)は、相対評価です。

音楽は他者と比べるものではないと言う考えの方もいると思いますが、本当の評価を受けなければ、自分が本当は上手いのか下手なのかわからないと思いますし、多くの指導者は、生徒に気持ちよくレッスンに来続けて欲しいと願っていると思うので、良いことを一生懸命に褒めると思いますから、コンペティションに参加しないとわからないのではないでしょうか?

コンペティションの課題曲が弾けないレベルだったら話になりませんけど。

私は、レッスンをお引き受けした生徒さんは、A2級(幼児)〜F級(高校3年生以下)まで順次ピティナピアノコンペティションの課題曲が弾けるレベルを保ち、生徒さんの家庭でのレッスン練習時間にもよりますが、最低でも地区予選は通過できる指導をしたいと思っております。

現在までは、地区予選通過を目標に参加した生徒さんで通過できなかったのはお一人だけです。

地区予選通過を目標にしている生徒の皆さんは、3月中に4曲弾けるようになっております。

全国大会出場を目指して渡部由記子先生のレッスンも受けている生徒さんは、先週1回目のホールリハーサルがあり、皆さん4曲弾いておりました。

まだ4曲弾けていない方は、頑張りましょう。

私は、生徒さんのレッスンでいっぱいいっぱいで、自分の練習時間が取れない状態ですが、頑張ります。