子供の音楽的才能を開花させるには。結城美帆子

ピアノって面白い、ピアノって楽しいって子供が思えることです。特に、小さいお子様は、楽しいことに興味が湧きます。人間は、心地良いことを好みます。2歳3歳のお子様は、グーやパーでピアノを弾きますが、本人はピアニストになったつもりですから、始めは、それで良いのです。音楽の三要素の一つであります「リズム感」が育まれますから、グーやパーで自由に弾かせましょう。当教室では、並行して、音符を教えながら、2歳3歳から始めないと身につかない絶対音感のレッスンを致します。絶対音感は、本人が意識して考えたり努力しなくても、教え方で身につきますので、絶対音感は才能の一つです。絶対音感を身につけられるレッスンを受けば、7歳位までに、白鍵も黒鍵も、ほぼ分かるようになります。確かに、努力も必要で大切なことですが、小さい子供に努力なんてわかりません。子供は、楽しいこと、面白いこと、心地良いことしかやりませんから、言い方を変えれば、楽しいこと、面白いこと、心地良いことはやりますので、ピアノって楽しい、ピアノって面白い、ピアノを弾いていると心地良い、と思い続けられれば、ピアノを弾くことが苦にならずに、練習と言う感覚ではなく、ピアノを弾き続けることができるでしょう。本人にしてみれば、ピアノを弾くことが楽しいから弾いているだけであって、ピアノは面白いから弾いているだけで、ピアノを弾いていると心地良いから弾いているだけなので、努力と言う感覚ではないと思います。ピティナピアノコンペティションが始まると、みんな努力努力言うので、私はとりあえず申しますが、本当は、努力が絶対とは思っていないのです。確かに、努力も必要ですが。音楽の才能、ピアノの才能を開花させるのに一番大切なことは、「ピアノが上手く弾けるようになりたい」と言う欲望を持つこと、欲望が持てるように育てること、欲望を持ち続けられるように導くことが大切ではないかと思います。ラカンの精神分析では、頻繁に「欲望」と言う言葉が出てきます。人間が、生きて行くためにとても大切なことでもあります。人間、欲望が無くなったら死に向かっていきます。良い指導者とは、生徒が努力を意識せず「あれ、いつの間にかこんなに弾けるようになっちゃった」と、思える指導者なのではないでしょうか。努力ばかりしていたら生きるのが嫌になってしまいます。ピアノも努力ばかりしていたら、ピアノを弾くのが嫌になってしまいます。何のためにピアノを習っているのかわからなくなってしまいます。ピアノを習いに行って、ピアノを弾くのが嫌になり、ピアノが嫌いになったら、本末転倒です。精神分析の作業も大変な作業ですが、少しの努力は必要ですが、努力ではなく、むしろ努力で乗り切れるような甘いものじゃないかな。精神分析を始める時、精神分析家の向井雅明先生から「精神分析は、生活の一部だと思ってください」と言われました。言われた時は意味がわかりませんでしたが、後になって精神分析の作業は努力程度のことで乗り切れるような甘いものではないということがわかりました。ピアノも同じで、国際コンクールで1位になるような人は、努力程度でなれたのではないと思います。努力程度の次元ではないと思います。もっと深いと思います。努力なんて言っている人は、ピアニストになれないと思います。生きるか死ぬかの病気になった時も、生きることへの欲望が無くなったら死を受け入れたと言うことでしょう。私は、まだ死んでいないので断言はできませんが、母を見ていてそう思いました。脳梗塞を患い闘病していた母ですが、医者にかかれば当然しかたがないことですが口から食事が困難な場合は経管栄養と点滴による栄養摂取になります。母は、最終的に、点滴の針が刺さらなくなり、鼻から栄養剤を入れても吐くようになってしまい、医師は治療の術を失ってしまいました。精神分析から考えれば、母は自分で動くこともしゃべることもできない状態でしたが、でも痰を吸引される時は相当痛くて苦しかったのでしょうはっきりした口調で「やらないで」と申しまし、母は、自らの意志で死を受け入れたと言うことではないかと思いました。医者は、治療を望まないのであれば病院に来られても困りますと言いましたが、医師が言う治療と、患者が思っている治療には、大きな隔たりがあるように思いました。隔たりを埋めることができないうちに母は亡くなってしまいました。医師に言葉で伝えることに限界を感じたので、手紙を書いたりもしたのですが、医師とのコミュニケーションは難しいです。そんな中でも、担当の丸島愛樹先生は、私の気持ちをくみ取り、母の状態を最大限に考慮して、急性期病棟もある筑波記念病院の回復期病院へ手続きをしてくださったのではないかと思い、筑波大学附属病院にも患者の気持ちに思いを寄せることができる医師もいることに心が救われました。また、母の最期の時も、私の望んだようにしてくださいました。丸島愛樹先生には、心から感謝申し上げます。通じない医師もおりましたけどね。丸島先生は、2年半ドイツで勉強をしてきたとのことです。ドイツでは、医学の技術だけではなく、医師としてのあり方も学ばれてきた先生なのではないかと思いました。ドイツにも音楽があります。音楽は、人間の心を育ててくれますからね。だから、母が最期の時、丸島先生だったらと思い、筑波記念病院から筑波大へ転院をお願いしたのです。もし、丸島先生に、音楽の漂いを感じていなかったら筑波大へ転院をお願いすることはありませんでした。私にとって音楽は人生の一部のようです。