大切なのは「努力」ではなく、続けることです。結城美帆子

一般的に「至福」幸せと呼ばれるものには、志望校への合格とか、結婚とか、出世とか、コンクールで金賞受賞とかと言ったものがあげられます。こうした社会的成功を収めるため、幼い頃から勉学に励むような人も大勢います。ピアノで言えば、幼児の頃からお母様と二人三脚で努力に努力を重ねている人も大勢います。しかし、そうした努力をして成功を手に入れても、虚しいだけでしょう。なぜなら、欲望の性質上ある対象を手に入れても飽き足らず、もっと(他のもの)を求めてしまうからです。幸せを追い求めることには終わりがありません。つまり(他者)に認められた幸せを掴んだところで、それはつねに「至福」幸せには至りません。幸せを手に入れれば、何を「幸せ」と感じるかのハードルが高くなってしまいます。これまでは充分満足できたものが、もはや取るに足りないものに見えるようになってしまいます。逆説的にも、人は幸せになればなるほど不幸だと感じることが多くなるものです。以前、音楽大学の教授の2人のお孫さんにピアノを教えていたことがありました。その時、この教授から「努力をしなければできないことは、やらせない方がいい」と、言われました。生きていくためには、努力も必要ですが、ピアノにおいては、本当にピアノが好きな子は努力して練習をしているわけではない。ピアノを弾くことが楽しいから、ピアノを弾いているだけのことなのです。逆に言えば、他者に言われて努力した程度で演奏だけで食べていけるピアニストになれるほど甘いものではない。ピアノが上手に弾けるようになるには、コンペティションで全国大会に出場できるようになるには、確かに努力も必要かも知れませんが、パパやママのためや先生のためなど他者のために努力をして成功を手に入れても、虚しいだけかも知れません。本当にピアノを弾くことが好きならば、練習が辛いと言うことはないはずです。本当にピアノを弾くことが好きならば、何時間練習したかなんか関係ないはずです。私が、ピティナピアノコンペティションに参加を勧める理由の一つは、コンペティションに参加しなければ、ある程度上級レベルにならなければ、練習曲だけで終わってしまい、ピアノの楽しい曲があることをわからないでピアノのレッスンを終える人が多い中、コンペティションに参加することにより、幼児期から四期の曲を学べますので、ピアノの楽しさを幅広く感じさせることができるのです。生徒をコンペティションに参加させる以前は、ラベルやドビッシーなど近現代の曲は上級レベルにならないと弾けないので、近現代の曲をやらないでやめていった生徒が大勢おりましたが、コンペティションに参加するようになってからは、幼児期から近現代の曲をレッスンしますので、特に幼児は近現代の曲を好むことも発見できましたし、これはひとえに生徒の皆様がピティナピアノコンペティションに参加をしてくださったことによりわかったことなのです。小さい子供たちは、近現代の曲を生き生きと楽しそうに弾きます。私は、感覚的にとても不思議なのですが、子供たちは、面白そうに興味を持って弾くのです。課題曲のレッスンを始める時も、近現代の曲から始めると仕上がりも早いですし、よく練習してきます。子供の心理にあっているのでしょうね。ピアノが上手に弾けるようになるのに大切なことは、本人のやる気を育てることです。小さい時は、本人がやる気が出るような(ピアノが弾きたくなるような)環境づくりが大切です。ピティナピアノコンペティションに参加をさせる理由は、四期を深く学ばせるためです。例えば、点数が7点だったら7点しか学ばなかったと言うことですから、深く学んで頂きたいと思います。私も深く教えます。どんなに努力をしてもかなわないこともあります。努力努力だと雅子妃殿下のように適応障害になり、精神科のドクターから離れられなくなってしまうかも知れません。美智子皇后陛下のように努力をし続けても適応障害を発症しない人もおりますから、なんとも言えませんが、精神分析的に言うならば、美智子皇后陛下は去勢を受け入れられたけど、雅子妃殿下は去勢を受け入れなれないのではないかと思います。とは言え、雅子妃殿下は、来年は皇后陛下になられるのに、皇后陛下のおつとめができるのでしょうか?国民には知らされないでしょうけど、天皇皇后両陛下は、色々な自覚がおありにあるのでしょうね。相当、お身体がしんどいのでしょうね。私の母も自覚があったようで、自ら車の運転もやめておりましたし、遺影も撮影されておりましたし、生前に戒名も頂いてありました。病院への行くこともやめ、薬を飲むこともやめておりました。色々なことを悟っていたのでしょう。お墓も綺麗になっておりました。母は、狭心症を患っており、心房細動からくる心原性脳梗塞、多発性脳梗塞でしたが、わからないことがわからないとわかっているうちにできることをしたのだと思います。自分の死期を悟ったのでしょう。