声楽家の栗本尊子先生がお亡くなりになられておりました。結城美帆子

98歳でした。

葬儀は、近親者で済ませたとあり、連絡先は息子さんが会長をされている日本石油輸送の総務部とありました。

栗本尊子は、日本歌曲の真髄を極めた方で、すごい方なのです。

リサイタルの時に上がる花輪の数で、あんなにたくさんあるのを私は見たことがありませんでした。

お弟子さんも結構いたのですが、東先生の時のようなご葬儀にはならなかったようです。

どのような葬儀をするかは、亡くなった人は関係無いといえば関係無いのでしょうね。

御子息は、音楽関係の方ではありませんでしたからね。

栗本尊子先生の旦那様は、オペラでご活躍されていて業界では尊子先生同様とても有名な方でした。

尊子先生がリサイタルをされる時は、チケットを売り出した時にはすでに完売状態でした。

私は、栗本尊子先生に出会うことがなかったら、栗本尊子先生の84歳の時のリサイタルを聴くことがなかったら、日本歌曲を深く勉強しようとは思わなかったと思います。

当時レッスンを受けていた松崎乃理子先生にすすめられて栗本尊子先生のリサイタルを聴きに行ったのですが、素晴らしかったのです。

歌とは歌うものではなく、語るものと思いました。

美しかったです。

美しい日本語とは、日本歌曲をローマ字で歌うのではなく、日本語で歌うということがどういうことなのか、そして、どうすれば良いのかがわかったのです。

わかったということは、難しいということがわかったということでもあるのです。

日本歌曲をベルカント唱法で歌う場合は、イタリア語で歌う時以上に軟口蓋を高く保ち口の中を開けなければならないのです。

歌は、語りなのです。

だから美しいのです。

歌を歌ったら耳障りです。

美しい歌とは、決して歌うものではなく、作詞家と作曲家の想いを全身で語り伝えることではないかと思いました。

ピアノを弾くということは、作曲家の想いをピアノという楽器を使って全身で語り伝えることです。