安易に保険証を使わないことではないでしょうか。
1959年(昭和34年)に国民皆保険法が施行されてからは、安価で医療機関を受診できるようのなりましたが、国民皆保険法が施行される前は、医者に支払う医療費が高くて安易に医者に診てもらうということはなく、医者に診てもらうこと無く死んで行った人が当たり前にいたのです。
今でこそ、医師の書く死亡診断書がなければ、火葬許可証が頂けませんし、火葬場から埋葬許可証が頂けませんから、最期は医者のお世話にならなければならなくなりました。
医療費で一番かかるのは、終末期医療とのことです。
昨年、母を看取って、終末期医療にどれだけ医療費がかかるかということを実感しておりますが、終末期医療にこんなに医療費をかける必要があるのだろうかという疑問も湧きました。
医療は、何の為にあるのでしょうか?
生きる為。
では、生きるとは、何なのでしょうか?
病院は治療をするところなので、治療ができない状態になれば(死亡・医師に治療方針に患者が従わない場合も)入院中であれば、退院をさせられます。
私は、口から食べられなくなったら死を迎える時と考えておりますので、母にも経鼻菅栄養や胃に穴を開けてペグを付け栄養を与えることはするつもりはなかったのですが、鼻から管を入れる経鼻菅に許可を頂けなければ治療ができないので退院して頂きますと言われ、CRP (身体の炎症反応値)が40にもなっている状態で、家に連れてくることもできず、しぶしぶ承諾のサインをいたしました。
医者の言う治療と、私が求めている治療にギャップを感じました。
祖父母も自宅で看取りましたが、点滴をすることも無く、自然に逝くことができたのですが、介護保険が施行されてからは、医療も変わったようで、静かに自然に逝くことが難しくなったように思いました。
今の医療体制は、急性期医療が有り、回復期医療が有り、最期は看取り医療になるようです。
全く人間の心を無視した、心無い医療とは思いませんか?
それぞれにやることが決まっていて、医療費は点数化されているのです。
看取りの医療機関は、年間の看取り患者が多くなれば、医療点数が加算され、患者の支払いは高くなります。
これでは、医療費は削減できないと思います。
急性期病院も、病気によって入院日数が決められているので、治る前に退院させられるから、再発を繰り返してしまうのではないかとも思いました。
国民皆保険を守る為にできることは、健康保険証をなるべく使わないことです。
病気にならないことです。
病気を予防することです。
病気を早期に発見することです。
その為には、信頼できるかかりつけ医のもとで、自分に必要なオーダーメイドの人間ドックを受けることではないでしょうか。
お医者様の中には、保険に縛られていると患者さんにベストな治療ができないと言って、保険医を返上し自由診療をされている方もおりますし、増えているように思います。
私が胃と大腸の内視鏡検査を受けている半蔵門胃腸クリニックは、検査は自由診療です。
普段お世話になっている銀座にある岡部クリニックは、保健医療と自由診療の混合医療です。
眼科のかかりつけ医の新橋にあるあまきクリニックも保健医療と自由診療の混合医療です。
まずは、オーダーメイドの人間ドックを受けて、指導を受けて生活習慣病を予防し、なるべく動脈硬化を遅らせる生活習慣を身につけることではないでしょうか。
人間いつかは必ず死にますから、死を受け入れられる心も大切なのではないでしょうか。
死を受け入れられて、はじめて今を生きることができるような気がします。