反省。結城美帆子

若い頃は、結果が全てと思っていた時も有り、結果を出す為に必死に努力をしておりました。

でも、世の中には、どんなに努力をしても報われないことがあるのです。

母は、そのことを自らの身体で私に教えてくれました。

どんなに努力をしても、人間の命には限界が有り朽ち果てるのです。

多少の努力も必要な時もあると思いますが、大いなる者から見たら努力と言えるものでは無く当たり前のことをしているだけなのかもしれないと思うようになりました。

ピティナピアノコンペティションやその他のコンクールなどで結果を出す為には、それ相応の努力が必要かもしれませんが、心の底からピアノを弾くのが好きな人は努力という感覚では無くピアノを弾きたいから弾いているだけだと思いますので、結果を出す為に努力が絶対必要というわけではないのではないでしょうか?

私は、ピアノのレッスンにおいては努力は不要と思います。

もし、努力をしなければピアノのレッスンが続けられないのであれば、それは残念ながらピアノのレッスンが向いていないのかもしれません。

私のレッスンは、お家での練習を強要はしておりませんので、家で練習ができないからレッスンを受けられないということはないので、ピアノを弾きたい人は「練習」という努力をしなくてもレッスンにお越しいただけるのです。

ただ弾きたいから弾いている、聴いてもらえるのが嬉しいからみんなの前で弾いているだけ、それがコンペティションであろうが発表会であろうが同じことなのではないかと思います。

私は、結果を出すレッスンではなく、ピアノが大好きになり楽しんでもらえるレッスンをしたいと思っております。

ピアノが大好きになり、ピアノを弾くのが楽しいと思えるようになれば、コンペティションやコンクールで演奏することが特別なことではなく普通のことに思えるのではないでしょうか?

ピティナピアノコンペティションは、結果を出すことを目的に参加をするのではなく、自分の演奏を多くの人に聴いていただけることに喜びを感じてほしいと思います。

多くの人に聴いてもらうことによって、自己肯定感が高まり、社会とのつながりも意識できます。

人間が社会の中で生きて行く為には、社会とのつながりも大切です。