国が国民に自粛要請をしたり、9月入学とか、オンラインレッスンとか、方向性が間違っているような気がする。
人間の心が置き去りにされているような気がします。
音楽とは何なのか?
ピアノのレッスンとは何なのか?
人間とは何なのか?
なぜ、ピアノを習うのか?
人間には、心があるのです。
音楽は、音楽を媒介にした心と心のコミニケーションではないかと思うのです。
人間社会には、音楽があります。
野生の動物の世界には、人間のような音楽はありません。
もし、ドラマに音楽がなかったらどうでしょうか?
「効果音」と言うものもありますね。
人間社会から、音楽がなくなったら、どうなるでしょうか?
音楽の三要素とは、「リズム・メロディー・ハーモニー」を言います。
音楽は、リズムから生まれたのです。
リズムは、心臓の鼓動でもあります。
原始的な人間社会にも、リズムはありました。
アイヌの音楽や、沖縄の音楽は、人間の魂そのもののように感じます。
ピアノのレッスンとは、ピアノを介して作曲家と生徒と指導者が心の融和を図ることではないかと思うのです。
新型コロナウイルスの影響で、オンラインレッスンを売りにし始めたピアノ教室も増えつつあるように思いますが、私は、生徒さんの状況により、フォローアップレッスンとして、オンラインレッスンも行っておりますが、オンラインレッスンをメインにするつもりはありません。
学校の休校の問題も、9月入学に変えれば解決することではないと思う。
学校とは、勉強を教えるだけのところではなく、生きる為に必要なことを総合的に学べるところではないかと思うのです。
今だから、教えられることがあるのではないでしょうか?
学習塾と同じようにオンライン授業をするだけだったら、学校の存在意味がなくなるのではないでしょうか?
学校は、道徳を教えるところでもあるはずです。
政府の予算をみると、新型コロナウイルス対策の予算は億なのに、新型コロナウイルス収束ごの予算は兆と言うのはいかがなものでしょうか?
新型コロナウイルスで死んでしまう人もたくさんいるのに、お金の使い方が間違っているような気がします。
収束後、経済を立て直す為に予算をとるのであれば、今を生きられるようにして欲しい。
今の不安を取り除く為にお金を使って欲しい。
国民の多くが、不安を抱えている。
PCR検査ができるようにして欲しいと思います。
検査ができないので、お互いに感染している前提で接しなければならないのは辛いです。
3密を避けて、飛沫感染と接触感染を予防できる生活ができれば大丈夫なのではないでしょうか?
その為には、飛沫を飛ばすような下品な行動はしない、手をきれいに保つ、鼻や口や目を頻繁に触るような下品な行動はしない、などで感染を防ぐことはできないのでしょうか?
5分の1程度の入場者であれば、ホールでの演奏会も可能なのではないでしょうか?
音楽教室の発表会は、収益を上げることが目的ではないと思うので、可能なのではないでしょうか?
政府にお願いしたいことは、PCR検査を増やして、感染者を分けて欲しい、そして、人を疑うことなく安心して生活ができるようにして欲しい。
まだまだ社会貢献できる人たちが、新型コロナウイルスで亡くなるのは忍びない。
タレントの志村けんさんにしても、女優の岡江久美子さんにしても、まだまだ社会貢献できた方々ではなかったのではないでしょうか。
納税者を育てなければ、国は滅びのではないでしょうか?
支援をする人を育てないと、支援を受けなければ生活ができない人たちは生きられなくなるのではないでしょうか?
感染症は、新型コロナウイルスだけではない。
人間が生きる意味を考えることも必要なのではないでしょうか?
人間が人間の心を取り戻すことができれば、新型コロナウイルスはそんなに長くかからないで収束できるような気がする。
しかし、方向性を間違えると、長期化するような気がする。
新型コロナウイルスで死ぬか、お金で死ぬか、どちらもでも死なないで欲しいと心から願います。