亡き母への想い。結城美帆子

私の母は、5人姉妹の長女でしたので、戦争中は兵隊さんの面倒を見たり、妹たちの面倒を見たり、戦後は戦争孤児や戦争未亡人に食事を与えたりしていたようで、大変苦労をした人です。家に男は私の祖父がいただけだったでしょうから、怖かったとも思います。私は、ものごころがついた頃から「男を見たら獣と思いなさい。男は狼なんです。」と言われて育ちましたので、近所のおじさんも怖かったですし、学校の男の先生も怖かった思いがあります。女性の私を守る言葉だったと思います。母の愛を感じます。母は、泣かない人でした。最近は、男でも人前で泣く人がおりますが、男と対等に生きていくためには人前で泣いてはいけないと言われました。涙は女の弱みでもあり武器でもある。人前で感情を出せてはダメ。強く生きた人です。私が教えを受けた女性は母をはじめ、みんな強いです。母の想いを胸に強く生きていかなければと思います。母ので元気な時の姿顔を心に強く残したかったのでお昼は、医師の死亡確認後のお顔は見ておりません。見られませんでした。母を欲望のもうじゃどもに合わせたくなかったので、誰にも言わず、葬儀屋さんにお願いして火葬と納骨を済ませました。レッスンをお休みして生徒の皆様に迷惑をおかけすることになるので、私自身も火葬も納骨も立ち会っておりませんで、すべて葬儀屋さんにお任せしました。と言うより、愛する母の死に顔は見られませんでしたし、愛する母を火葬になんてできませんでしたし、愛する母を暗いお墓の中に埋葬なんてできないと言う思いが強かったのです。現実逃避ですね。母の戸籍をとると除籍になってました。死んだのですから当たり前ですけど、こんなことでも悲しくなるのです。私の叔母が、第一子が生まれてすぐに亡くなった時、泣き崩れてお墓に行かなかったのですが、同じ気持ちだったのかもしれません。悔いのないように一生懸命生きているつもりでしたが、悔いだらけです。愛犬が死んだ時、子供が死んだ時、主人が死んだ時、今回が一番辛い。でもあるやることはやらなければならないので毅然として頑張ります。私が生きている限る守るべきものは守っていきます。そして、母の願い、東先生の願い、丸山先生の願い、秋山先生の願いを込め、「ピアノって面白い」「ピアノって楽しい」と思ってもらえるように一生懸命に教えて、「ピアノ大好き人間」「音楽大好き人間」をたくさん育てて、音楽の力でたくさんの人を幸せにしたいと思います。