久々に体調が悪いです。
朝スムーズなお通じが無いと一日体調が良くありません。
昨夜は、卵のストックがなくなってしまい、いつもと違う夕食を食べたことが原因かもしれません。
食事は大切です。
胃腸の調子が良くなるまで、お粥か素うどんのみの食事になるので、パワフルなレッスンが出来ないかもしれません。
胃腸ですから、よくよく考えてみれば、原因はメンタルですね。
昨日は、ピティナピアノコンペティションの動画を観ていて色々考えることがありました。
金銀銅賞を受賞された方々の動画を観ていて、「この子達を教えている先生もこの子達のような弾き方をしているのだろうなー」と思いました。
40年以上前になりますが、ミラノ音楽院の教授にレッスンを受けた時に「日本の学生はみんなおんなじ弾き方をするのね」と言われました。
だから、生徒の演奏を聴くと、教えている先生が誰かがわかると言われました。
ようするに個性が無いということです。
ピティナピアノコンペティションの金賞受賞者の受賞者の演奏を聴いていると、「この子は〇〇先生だろうなー」とか勝手に想像しちゃいます。
基本は大切だと思いますが、先生と同じに演奏することが、本当に良いことなのでしょうか?
テクニックは素晴らしいと思うし、相当練習をしていると思うけど、あの子たちは心から音楽を愛しピアノを楽しんでいるのでしょうか?
努力が目的になっているように思えます。
ピアノは努力も必要ですが、心を養うものではないでしょうか?
美しいものを美しいと感じられる心、人としての感性を育むものではないでしょうか?
そんなことを思いながら就寝したら、朝便が詰まってしまいました。
音楽の本質とは、音で何かを表現することです。
ピアノを媒体として、自分の心を表現しましょう。
それがピアノを学ぶということです。
世の中には、努力をしたくても出来ない人もいるのです。
児童養護施設で暮らしている子どもたちは、たとえ音楽的才能があり努力もできる子であっても、自由にピアノを弾くことは許されないですし、グランドピアノで練習なんて出来ないのです。
世の中には、ピアノを弾きたくても弾けない境遇に置かれている子どももいるのです。
私が携わっている児童養護施設は、居室の机の上に置いて使えるキーボードしか自由に弾くことは出来ません。
色々考えてしまいます。
どんな環境に生まれた子どもであっても、「ピアノが弾きたい、弾けるようになりない」と望む子に対しては、可能な限りにおいて支援をしたいと思っています。
音楽は、心を育んでくれるものですから。