中村仁一氏の「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んで。結城美帆子

中村氏の考えは、脳卒中も含めて自分で食べられらくなったら無理に食べさせず点滴もせず胃ろうや経管による栄養摂取もしないと言うものである。老人は死ぬのをただ待ってろというのであろうか?障害を持って生まれてきたために、生まれた時から自分で食べられない人もいるのです。中村氏は、「医療費が大変だから今生産性のない人は医療を受けずに死ね」とでも言いたいのでしょうか?以前から、中村氏のような方々の考えは嫌いでしたので読まなかったのですが、色々な考えが知りたいと思い好き嫌いに関係なく読んでいます。私も母が元気な時は、自分で口から食べることができなくなったら自分で食べようとしなくなったら自然でいいと思っていたのですが、経管栄養は家族の許可なく入れられてしまいますので、一度入れたものは倫理的に抜けないと医師から言われましたので抜けないのです。導尿かんバルーンも家族の許可なく入れますので同じです。年寄りだからとか、生産性がない人だからという理由で治療に差があっても良いのでしょうか?私は、疑問です。「死んでもいい」なんて言う人がいたとしたら、その人は精神科領域の患者ではないでしょうか?患者本人も家族も忙しそうにしている医師や看護師に遠慮があって本音が言えず「延命処置はいりません」などと書かれた用紙にサインをさせられるのです。忙しいのは分かりますが、一つしかない命を相手に仕事をしているのですから、もう少し患者の気持ちを考えて欲しいです。みんな生きていたいのです。私のピアノ教室には障害がある方がおりますが、中には「家では普通なので障害者とは思っていないんですが」と言われる親もおりますし、「発達障害の検査を受けても治るわけじゃないから受けない」と言う親もおります。母が要介護認定を受ける前は受けたほうが良いのではないかと思っておりましたが、今は、受けなくても良いように思います。発達障害と認定されると金銭的な支援は受けられるようですが、発達障害車支援法がある一方で、障害者医療観察法があるのです。障害者は、裁判を受ける権利すら剥奪される場合があるのです。法律は個人を守るためにあるわけではなく、国民を守るためにあるので、発達障害支援法は、発達障害の人が事件を起こすのを防ぐことが第一の目的でできた法律ではなかったでしょうか。ここでも「支援という名の管理」ですね。医療保険や介護保険の加算点数を見ても、患者のためではないことがわかります。20人以上の看取りをすればいくらいくら加算とか、医師から見て回復の見込みがない患者の場合も何点加算とか、急性期病院に入院して2日以内に回復期病院に連絡をすると何点加算とか、私が親戚の病院で医療事務のお手伝いをしていところとは全然違います。各病院各評価で料金が変わるシステムになっているようです。病院ファーストで、患者ファーストの評価ではないようです。患者のためではなく、病院の出費を抑えるよう努力をしたことが評価されレセプトを請求するときに多くの加算が認められるようになるようです。評価主義みたいですが、治らなかった患者は表に出てきませんから、怖いですね。だから、いちいち説明を受けたらサインをしなければならなおのです。「説明をした」と言う証拠がないと評価をしてもらえず、点数の加算ができないからなのでしょう。ピアノ教室も、ピティナさんが出している指導者賞とか特別指導者賞を受賞したり、生徒をコンペティションや検定ステップなどに多く参加させている先生は、先生紹介欄で上位になるのです。当然ですが、ピティナさんに貢献度が高い先生の教室が名簿の上なのです。医療も厚生労働省に貢献度が高いと評価が高く保険点数が加算できる仕組みのようです。ピアノ教室もどんなに頑張らせても無理な子供もおりますし、無理をさせれば音楽が嫌いになってしまうこともありますので難しいです。