コロナの前だったら、つくば地区はゴールデンウィーク前に定員に達し締切になっていたのですが、今年はまだ定員に達しておりません。
龍ヶ崎地区は、今日が締切日でしたが、昨日はまだ定員に達しておりませんでした。
ひたちなか地区も取手地区も定員に達していないようです。
流れが変わったようですね。
コンペティションではなく、課題曲チャレンジに参加される人が増えたのかもしれませんね。
コンペティションは、大変ですからね。
結城美帆子ピアノ教室では、点数で評価が得られるコンペティションへの参加をおすすめしております。
コンペティションに参加することで、点数で評価をされますから、自分がどの程度のレベルなのか客観的に知ることが出来ます。
レベルアップの為には、たえず自分自身を客観視する必要があると考えております。
下手くそな演奏をした人に対して、面と向かって「下手くそな演奏ね」とは言わないと思います。
さほど上手く無い演奏であっても「上手ね」褒めるのではないでしょうか。
私は、日本障害者ピアノ指導者協会および全日本障害者音楽連盟の理事をさせて頂いており、ピアノパラリンピック全国大会の講評委員を致しました。
コロナの前は、9月に行っており、ピティナピアノコンペティション全国大会が終了しまもなくピアノパラリンピック全国大会が開催されておりましたので、ピティナピアノコンペティション全国大会とピアノパラリンピック全国大会の演奏レベルの大きな差を感じており、私は講評委員はできないと思いました。
障害者の方も、一生懸命にピアノを練習しているのはよくわかります。
でも、純粋にピアノを学ぶこととは違うような気がするのです。
ピアノ学ぶ目的が同じようで同じではないと思うのです。
だからだと思います。
講評ができないのです。
何を講評したら良いのかがわからないのです。
レベルの高い曲を一生懸命に練習して一生懸命に弾いているのはよくわかりますが、私の本心は、彼らの演奏を「上手い」とは思えませんし言えません。
レベル的に上手い演奏でないのに、「上手だったわよ」なんて褒めたら、同情をしているようで、障害者に失礼ではないかと思うのです。
良い演奏、良い響き、心がある演奏は、一般に人も障害者も求めるものは同じだと思うのです。
私は、音楽で差別はしたくないです。
結城美帆子ピアノ教室では、障がいがある方もピティナピアノコンペティションに参加します。
今年は、小学6年生で知的障害を伴う自閉スペクトラム症で特別支援クラスに通っている生徒さんもC級(小学6年生以下)に参加します。
この生徒さんは、平日4時間・土日は10時間練習をして、週2回レッスンに来て頑張っています。
今回コンペティションに参加される生徒さんの中で、一番練習をしていると思います。
知的障害を伴う自閉症の子供が、1日10時間もピアノの練習をするのって、大変なことなのですが、具体的な目標があれば目標に向かって頑張れるのです。
C級の課題曲が弾けるレベルになれば、ピアノが弾けなくなることはないです。
後は、プラスだけです。