結城美帆子ピアノ教室のブログにご訪問頂き誠に有難うございます。
日々のレッスンで思ったことや、頭と体と心の健康に良いと思ったことを書いております。
昨日の最後の生徒さんは、大学病院に勤務している看護師になって2年目の方でした。
最後のレッスンの方とは、レッスンが終わってから少しお話をする時があるのですが、私のレッスンは、とにかく脳をフル活用させるレッスンなので、すごく集中しますから、頭は疲れます。
そんな中で話題となったのが、認知症です。
「入院している患者さんの中にも認知症の人がいて、何もわからなくなって可哀想に思います」と仰いました。
私は、介護福祉士の資格を習得するために約3年間重度身体障害者施設と特別養護老人ホームで介護の仕事に携わった経験があり、人間の心というものをもう少し深く知りたかったので、心理学とラカンの精神分析を学んだのですが、その学びから、障害者や認知症の人を可哀想とは思わなくなりました。
可哀想と思うのは、自分を視点に考え上から目線で相手を見ているからではないでしょうか?
よく心に寄り添った医療とか言いますが、心に寄り添うことってできるのでしょうか?
ピアノの先生の中にも、「生徒さんの心に寄り添ったレッスンをします」みたいなことをホームページに書かれている方もおりますが、心に寄り添ったレッスンてどんなレッスンなのでしょうか?
私は、医師や看護師に心に寄り添ってもらおうとは思いません。
私が、医師に求めることは的確な診断と的確な治療です。
看護師には、高い技術を求めます。
彼らに、心のケアは求めません。
ピアノの指導者は、生徒さんがいかに苦労を少なく上達できるように導くことができるかが指導者の腕の見せ所であって、心のケアでお月謝を頂いているわけではないと思うのです。
ピアノは表現力が必要ですから、感性を育てるために心を育てることは致しますが、心のケアとは違うと思います。
心のケアなんて言わなくても、ピアノを学ぶこと自体が心を育み心のケアになりますから。
ロジャース派のカウンセラーは「共感」という手法をを使いますが、ラカン派の精神分析家は患者に寄り添ったり共感することもなく、患者にひたすら自由連想を求め、患者自らが成長出来るように解釈を与えます。
大人であろうが子どもであろうが、自分の答えは自分で見出すしかないのです。
ピアノは、自分の心を表現する手段でもあるのです。
ピアノの指導者は、生徒さんがピアノで自分の心を思う存分に表現することが出来るように、まずはテクニックを身につけさせてあげることが重要と考えております。
いくら表現したいと思っても、表現できるだけのテクニックが無かったら、不発弾を抱えている状態になってしまうと思います。
生徒さんご自身が自ら弾きたい曲を弾きたいように弾けるようにしてあげることが、ピアノの指導者のミッションと考えております。
私は、優しい看護師さんよりも、採血や静脈注射が上手な看護師さんの方がいいです。
私は、優しいお医者様よりも、検査や手術などが上手なお医者様の方がいいです。
ピアノ教室は、ピアノが上手く弾けるようにピアノを教えるところで、子どもの躾をするところではありませんので、レッスンを受ける時のマナーや訪問のマナーを教えるのは親御さんの仕事と考えております。
ただし、ご希望があれば、精神分析的心の相談をお受けすることは可能です。
結城美帆子ピアノ教室は、老若男女問わず障害の有無も関係無く「本気でピアノが上手くなりたい想いを叶えるレッスン」を行っております。
当教室の理念や指導方針にご賛同いただける方は、まずは体験レッスンにお越しください。
体験レッスンは、雰囲気を味わうことができます。